「チューリップ」絶頂期に、高校時代から「和製ビートルズ」を目指して苦楽を共にしてきた吉田彰さんに脱退された、財津和夫(ざいつ かずお)さんですが、実は、吉田さんによると、財津さんには強いわだかまりがあったといいます。今回は、その一つを、吉田さん自身の証言を交えてご紹介します。

「財津和夫は昔「チューリップ」で盟友・吉田彰に脱退されていた!」からの続き

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印税の分配ルールが変更されていた

「チューリップ」は1972年に上京して以来、出演料及びレコード(LP/EP)の歌唱印税の部分の分配は5等分だったそうですが、

1977年にその分配ルールが変更され、メンバー5人とマネージャー、会社の事務所のデスクマネージャー、最高責任者(社長)の8人が、グループに対する貢献度を考えて査定する(メンバーは自分以外の4人を査定する)というものになったそうです。

吉田彰は「チューリップ」メンバー間の相互査定にショックを受けていた

そこで、吉田さんは、財津さんは(リーダーとしての役割を加味して)28%、残りのメンバーのA18%、B18%、C18%、吉田さん18%(つまり、リーダーである財津さんが10%を先に取り、残りを5等分する)と、考えたそうですが、

実際に8人の査定結果を集計すると、財津さん28%、A21%、B20%、C16%、吉田さん16%となったそうで、吉田さんは、とてもショックを受けたのだそうです。

というのも、もし、他のメンバーが吉田さんと同様の数字を出していたと仮定すると、事務所関係者の3人はもっと低い査定をしていたことになり、吉田さんは、バンドに貢献していないとみなされたことになるからです。

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吉田彰は「チューリップ」に貢献していないとみなされていた

ちなみに、あるヒットチャートの音楽番組で、「チューリップ」のリクエストが多いから、ぜひ出演してほしいとの依頼があり、緊急ミーティングを開かれた際、

財津さんが、

チューリップというグループはステージでの表現だけでいい。『1曲を2分以内で』などで表現できない。さらに誤解される。

と、言ったのに対し、

吉田さんは、

リクエストした人たちに出演することにより感謝の気持ちを伝える。リクエストした人たちは誤解しない。しかもベスト10に入るということは大勢の人たちの支持があり、それに答えるという選択肢もあると思う。

と、言ったそうですが、

結局、テレビ出演はしないことになり、その後、デスクマネージャーの部長からは、「メンバーはもっと協調性を持って」と言われ、会社の最高責任者からは、麻雀に誘われ、車の中で二人っきりになった時に、「リーダー(財津さん)に協力的であって欲しい」と言われたそうで、

(麻雀をすること自体には意味はなく、このことを吉田さんに告げるためだけに、わざわざ「麻雀の会」が用意されたのだそうです)

最初から財津さん及び事務所のブレインは、自分たちで決めたこと以外の意見を聞く耳は持っておらず、このミーティングは、依頼を断る理由の意思統一を図るために開かれたものだったと悟ったそうですが、

吉田さんは、この頃から既に、自分はグループに貢献していないとみなされていたのだと思い当たったのだそうです。

「財津和夫は「チューリップ」で吉田彰から不満を抱かれていた!」に続く

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