テレビドラマや映画で主に脇役として出演されている、織本順吉(おりもと じゅんきち)さんですが、実は、1950年に西村晃さんらと劇団「青俳」を結成されて以来、1980年に解散するまで、劇団の幹部俳優として活躍されており、舞台・テレビドラマ・映画を合わせると、その出演数は2000本超。ちなみに、90歳を回った現在もなお現役で活動されています。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

織本さんは、1927年2月9日生まれ、
神奈川県横浜市のご出身、

身長174センチ、
体重72キロ、

血液型はB型、

学歴は、
神奈川県立工業学校卒業(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)

趣味は、絵画、

ちなみに、本名は中村正昭(なかむら まさあき)で、芸名の「織本順吉」は、出身地の折本町から姓を「織本」に、志賀直哉の小説「大津順吉」から、名を「順吉」にされたそうです。

若い頃は?

織本さんは、工業高校時代の1944年3月から7月までの4ヶ月間、勤労動員として「東芝通信機」小向工場で働いていたのですが、

そんな中、「慰安芸能会」で出演した、生徒の演出による演劇「黄土の涯てに」が、見事1等賞、金20円を獲得。

その後、演劇活動からは遠ざかり、高校卒業後は、工員として就職した「東芝」で、ドロドロの油まみれになって働いていたのですが、

勤労動員時代の上司だった課長さんに事務職として引っ張られ、当時、東芝で活発だった労働組合を手伝うようになると、労働組合の文化部にも参加されるようになり、職場演劇をしたり、演劇学校に通うなど、再び、演劇活動を行うようになったそうです。

「新協劇団」入団~劇団「青俳」結成

しかし、やがて、「東芝」は、勤労整備という名目で従業員を解雇するようになり、給料をもらいながら組合活動をしていた織本さんも解雇されてしまうのですが、

織本さんは、「東芝」を退職後も、演劇が忘れられず、1945年、人から誘われて「新協劇団」に入団すると、同年には、「破戒」で、主人公の「丑松(うしまつ)」役に抜擢され、初舞台。


NHKがテレビ放映を開始した直後、「ビルマの竪琴」で水島上等兵役で出演された頃の織本さん。

その後、1950年には、劇団が分裂したことをきっかけに退団されると、岡田英次さん、西村晃さん、木村功さん、高原駿雄さんらと、劇団「青俳」を結成され、

第1回公演「フォスター大佐は告白する」(ロジェ・ヴァイアン作)では、マッカレン中尉役を演じられるなど、1980年に解散するまで、同劇団の幹部俳優として活動されたのでした。

「仁義なき戦い」でヤクザの親分ほか悪役で活躍

また、織本さんは、舞台で活躍する一方で、テレビドラマや映画にも数多く出演されており、

1970年代には、

「仁義なき戦い 完結篇」
「新仁義なき戦い 組長の首」
「実録外伝 大阪電撃作戦」
「仁義なき戦い 完結篇」

など、東映のヤクザ映画で、ヤクザの親分(と言っても弱い親分)、


「仁義なき戦い 完結篇」より。早川組長に扮する織本さん。

テレビの時代劇でも、悪代官役など、悪役を中心に演じられています。

ちなみに、織本さんは、悪役を演じるようになった経緯について、

僕は若くして頭がハゲてきました。だからといって、髪を植えるわけにはいかない。それなら、太ったら、悪役ができるんじゃないかと思って、太りました。ですから、若い時の作品を観ると、自分だと気づかないくらい太っているんです。

それで、悪役に向くようになっていきました。悪役というのは、条理に適わないことを無理に人に押しつける役だとおもいます。ですから、押しつけがましい芝居をしていたと思います。

と、明かされているのですが、

時代劇の悪役は、いつも決まった芝居しかさせてもらえず、いい加減、飽きてしまったそうで、ある時、悪代官の芝居をせずにニコニコしていると、撮影が終わった後、プロデューサーに呼び出されて怒られたそうで、

以来、

あいつはやらないからダメだ

との噂が流れて、悪代官の役は来なくなり、結果、色々な役が回ってくるようになったとのことでした♪

出演作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、織本さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1958年 東芝日曜劇場「敏腕記者」
1959年「夫婦百景」
1960年「クライマックス 人生はドラマだ」第20回
1962年 東芝日曜劇場「おやじ」
1966年「ザ・ガードマン」第74話
1967年「アイウエオ」
1968年「ローンウルフ 一匹狼」第16話

1969年「パンとあこがれ」
1970年「おさな妻」
1971年「お登勢」
1972年 NHK大河ドラマ「新・平家物語」
1973年「木枯し紋次郎」
1974年「事件狩り」
1975年「影同心」第4話


「事件狩り」より。織本さんと石立鉄男さん。

1976年「夫婦旅日記 さらば浪人」
1977年「水戸黄門」第8部
1978年「松本清張シリーズ・虚飾の花園」
1979年「江戸の牙」
1980年「新・江戸の旋風」
1981年「江戸の用心棒」
1982年「先生お・み・ご・と!」


「水戸黄門」より。(左から)里見浩太朗さん、織本さん、横内正さん。

1983年 NHK大河ドラマ「徳川家康」
1984年「弐十手物語」
1985年 NHK連続テレビ小説「澪つくし」
1986年 NHK大河ドラマ「いのち」
1987年「牟田刑事官事件ファイル」
1988年「あきれた刑事」第17話
1989年 NHK大河ドラマ「春日局」


「牟田刑事官事件ファイル」より。
(左から)柴俊夫さん、織本さん、小林桂樹さん、峰岸徹さん。

1990年「松本清張スペシャル・家紋」
1991年 NHK大河ドラマ「太平記」
1992年「名探偵・金田一耕助シリーズ・女怪」
1993年 NHK連続テレビ小説「ええにょぼ」
1994年 NHK大河ドラマ「花の乱」
1995年「沙粧妙子-最後の事件-」
1996年 NHK大河ドラマ「秀吉」


「名探偵・金田一耕助シリーズ・女怪」より。

1997年「獄門島」
1998年「月のかたち」
1999年「週末婚」
2000年「柳橋慕情」
2001年「こちら第三社会部」
2002年「御家人斬九郎」
2003年「またのお越しを」

2004年「砂の器」
2005年「赤い霊柩車シリーズ」第20作
2006年「浅見光彦シリーズ」第23作
2007年「京都地検の女」
2008年「ROOKIES」
2009年「落日燃ゆ」
2010年「臨場」

2011年「Dr.伊良部一郎」
2012年「最高の人生の終り方~エンディングプランナー~」
2013年「妻は、くノ一」
2014年「Nのために」
2015年「医師たちの恋愛事情」
2016年「水族館ガール」
2017年「やすらぎの郷」


「Nのために」より。榮倉奈々さんと織本さん。

映画では、

1952年「山びこ学校」
1953年「雲ながるる果てに」
1954年「億万長者」
1955年「乳房よ永遠なれ」
1956年「あなた買います」
1957年「警視庁物語 夜の野獣」
1959年「人間の條件 第一部 純愛篇 / 第二部 激怒篇」

1961年「はだかっ子」
1962年「ギャング対Gメン」
1963年「特別機動捜査隊」
1964年「三匹の侍」
1965年「怪談」
1966年「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」
1967年「ギャングの帝王」


「特別機動捜査隊」より。(左から)織本さん、安部徹さん、南廣さん。

1970年「裸の十九才」
1971年「顔役」
1972年「子連れ狼」
1973年「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」
1974年「仁義なき戦い 完結篇」
1975年「暴動島根刑務所」
1976年「実録外伝 大阪電撃作戦」

1977年「やくざ戦争 日本の首領」
1978年「宇宙からのメッセージ」
1979年「総長の首」
1980年「五番町夕霧楼」
1981年「連合艦隊」
1982年「大日本帝国」
1984年「ゴジラ」


「宇宙からのメッセージ」より。

1985年「Mishima: A Life In Four Chapters」
1986年「大奥十八景」
1989年「利休」
1991年「シャイなあんちくしょう」
1993年「国会へ行こう!」
1995年「さよならニッポン」
1996年「極道の妻たち 危険な賭け」

1998年「借王3」
2000年「新・仁義なき戦い」
2001年「千年の恋 ひかる源氏物語」
2002年「森の学校」
2003年「ホーム・スイートホーム2 日傘の来た道」
2005年「恋するトマト」
2006年「怪談新耳袋」

2007年「北辰斜にさすところ」
2008年「魁!!男塾」
2009年「The Harimaya Bridge はりまや橋」
2010年「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」
2012年「はやぶさ 遥かなる帰還」
2014年「土竜の唄 潜入捜査官REIJI」
2016年「嫌な女」
2018年「blank13」


「blank13」より。(左から)織本さん、村上淳さん、佐藤二朗さん。

ほか、数多くの作品に出演されていますが、
さすがに芸歴70年だと、出演されている作品の数も凄いことになっていますね♪

妻は?娘は中村結美!

そんな織本さんの、気になるプライベートですが、

織本さんは、一般女性と結婚されているようで、詳しいことはわかりませんでしたが、結婚後は、女の子が誕生し、その娘さんは、現在、放送作家として活動されている、中村結美(なかむら ゆみ)さんなのだとか。

結美さんは、1980年代後半から、ドキュメンタリーの仕事を手がけられ、2000年代になると、NHKの番組で、何度か織本さんと一緒にお仕事をされているようで、親子の仲は良いご様子。

また、結美さんは、放送作家になった経緯について、

幼い頃、私は、「役者より作家の方がエライんだよ。」と、父・織本順吉にこう言ってダマされた。父としては、娘がうっかり、「役者になりたい」などと言いださないように、知恵をしぼった末の一言だったのかもしれないが、その言葉に乗せられて、放送作家という仕事に就いた。

と、明かされていました♪

老いてなお花となる~織本順吉90歳の現役俳優

ところで、2017年9月には、娘の結美さんが、織本さんの日常を撮影した、「老いてなお 花となる~織本順吉 90歳の現役俳優~」というドキュメンタリーがNHKBS1で放送されているのですが、


「老いてなお 花となる~織本順吉 90歳の現役俳優~」より。

実は、織本さんは、昔から、誰よりも早く台本を離すなど、セリフを覚えることに苦労を見せたことがなかったそうですが、

結美さんは、そんな父、織本さんが、ある時から、あれこれ台本にケチをつけるようになったり(セリフを覚えられないことの言い訳として)、迎えに来た奥さん(結美さんのお母さん)に、「時間を間違ってる!」と責めるようになったため(織本さんが間違えた時間を伝えたにもかかわらず、自分の間違いを認めたくなかったため)、

お母さんの嘆きを聞くうちに、娘として、同業者として、どう父と向き合えばいいかと考えた末に、カメラでお父さんの姿を記録することを思いつかれたのでした。

ちなみに、このドキュメンタリーの中では、90歳という年齢で車を運転して、近くのコンビニに行ったことを、心配した家族から注意されて、

俺に死ねといっているのか!

と、関係ない言葉で反論したり、

歩くこともままならず、セリフは一晩寝て忘れることもあったようで、老いと闘いながらも、現場に向かう、ありのままの織本さんの姿が映し出されており、まさに、家族でしか撮れないドキュメンタリーとなっているようです。

「やすらぎの郷」に出演

それでも織本さんは、2017年には、テレビドラマ「やすらぎの郷」に出演されると、壮絶な臨終シーンを演じて絶賛されています。


「やすらぎの郷」より。(左から)石坂浩二さん、
草刈民代さん、織本さん、名高達男さん。

実は、織本さんのご家族は、織本さんがちゃんと演技出来るのか心配されているところを、脚本家の倉本聰さんに、

老いを得て咲く花がある。そこにいるだけでいいのです。

と、言われたそうですが、

実際、織本さんは、まさに、老いたものにしか表現することのできない、渾身の演技を披露されたのでした。

さて、90歳を回り、現場に立つことさえ、ままならないこともある織本さんですが、やはり、リアルに老人の役ができる役者はそうはいません。

これからも、時々は、テレビで姿を見せてほしいですね。

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死因は?

・・・と思っていた矢先、2019年3月18日午後0時2分に、「老衰」のため、92歳で他界されました。

ちなみに、娘の中村結美さんによると、織本さんは、

役者は出番が終わったら、静かに去って行くべきだ

と言われ、延命治療は拒否されていたとのこと。

葬儀は密葬で3月20日に近親者のみで営まれたということでした。

織本さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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