プロレスラーとして一世を風靡すると、政治家としても意欲的に活動した、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、1人目の妻と2人目の妻についてご紹介します。

「アントニオ猪木が北朝鮮にこだわる理由とは?」からの続き

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最初の妻はアメリカ人女性

猪木さんは、1964年、アメリカ武者修行中に、アメリカ人女性のリンダさんと結婚し、お子さんが誕生しているのですが、お子さんは幼い頃に病気で亡くなり、リンダさんともほどなくして離婚しています。


アメリカ人女性リンダさんとその間にできたお子さんとの3ショット。

2人目の妻は倍賞美津子

その後、猪木さんは、1971年に、女優の倍賞美津子さんと再婚しているのですが、その馴れ初めというのが、

ある日、猪木さんの先輩レスラーである豊登道春さんが、銀座で食事をして自分の車(当時、国産最高級車センチュリー)に戻ってくると、

こんな車に乗りやがって

と、車を蹴飛ばしている女の子3人組がおり、そのうちの一人が倍賞美津子さんだったそうで、倍賞さんらが美人だったからか、豊登さんは、そのまま倍賞さんらを食事に誘い、食事の後は家まで送り届けたそうで、以来、二人は連絡を取り合うようになったそうですが、

その後、豊登さんが、ハワイのお土産を渡すため、倍賞さんを訪ねた際、猪木さんも一緒に行ったそうで、この時、猪木さんと倍賞さんは初めて出会ったのだそうです。


倍賞美津子さんと猪木さん。

倍賞美津子とは最初はグループ交際だった

以来、猪木さんと倍賞さんは、友人を交えたグループ交際をするようになり、徐々に親しくなっていったそうで、

猪木さんは、後に、

彼女は明るくて、人を喜ばせることが上手だった。人がいるとワーッと楽しく振る舞い、周りにいる人の心が明るくなるのである。

と、自分にはない倍賞さんの明るさに、惹かれたと明かしています。

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倍賞美津子と1億円の結婚式

そして、出会ってから5年ほど経った頃、

どうだい、一緒になるか

と、猪木さんが倍賞さんにプロポーズすると、

倍賞さんも、

いいわよ

と、答えたそうで、めでたく結婚。

当初、結婚式は、ごく親しい人だけを招待するつもりだったそうですが、

倍賞美津子とアントニオ猪木が婚約

と、倍賞さんの名前が先にきた報道を見た猪木さんは、

やはりプロレスはマイナーなんだな。

と、カチンときたそうで、

世間がプロレスをそう見ているのならあっと言わせてやろう。

と、盛大な結婚式をすることに。

すると、当時、猪木さんの所属団体だった「日本プロレス」が、看板プロレスラーの猪木さんと人気女優の倍賞さんの結婚は恰好(かっこう)の話題になると見込んで、式の費用を全額負担するなどの協力を申し出てきたそうで、

(当時、プロレスの人気は少し低迷気味だったそうです)

当時、史上最高額の1億円の結婚式をすることになったのだそうです。

「アントニオ猪木と倍賞美津子の離婚理由は?」に続く


披露宴で満面の笑みの猪木さんと倍賞美津子さん。

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