1965年、劇団「状況劇場」の路上劇「ミシンとコーモリ傘の別離」で俳優デビューされ、その後、劇団の看板俳優として活躍された、大久保鷹(おおくぼ たか)さん。1976年に突然劇団を去り、演劇界から離れられましたが、1988年、劇団「唐組」旗揚げ公演で復帰を果たされると、以降、様々な舞台に出演されています。


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プロフィール!

大久保さんは、
1943年10月11日生まれ、
新潟県のご出身です。

身長172センチ、
体重68キロ、

靴のサイズは26.5センチ、

学歴は、
明治大学政治経済学部経済学科中退、

特技は、生きること、

だそうです♪

唐十郎との出会い

大久保さんは、明治大学在学中、
劇作家の唐十郎さんと知り合われると、

唐さん率いる「シチュエーションの会」に参加。
(1964年には「状況劇場」に改名)

1965年には、大久保さんがプロデュースし、
唐さんが台本を書いた路上劇「ミシンとコーモリ傘の別離」
で、俳優デビューされています。

大久保さんは、当時を振り返り、

唐さんの台本には「電信柱に上る男」とか、
「相撲取りの格好で町を歩き回る男」という設定しかない。

ボクに当てられたのは「水の中に潜っているだけの男」。
厳冬の2月ですよ。当時あった数寄屋橋公園の噴水池は氷が張ってて、
その中で1時間くらいジッとしてたら意識がなくなり、
気がつくと、銀座4丁目交番で毛布にくるまれてた。

そこに唐さんが身元引受人で来てくれ、
「これで宣伝になりましたか?」
ってイの一番に聞いたのを覚えてます。

その路上劇は唐さんの次の公演の宣伝を兼ねてたんですよ。
その際、ボクに男気を感じたらしく、
結果的に絶大な信頼を得ることになりました。

と、語っておられました。

劇団「状況劇場」で活躍

以降、大久保さんは、
劇団「状況劇場」の看板俳優として活躍され、
その怪演ぶりで多くのファンを魅了。

舞台に上がると、客席から、

「鷹、鷹」

と、声援が飛んだそうです。

若かりし頃の大久保さん。

また、その一方で、
劇団のタブロイド新聞を編集されるなど、
唐さんの片腕として活躍されていたのですが・・・

劇団「状況劇場」を突然退団

大久保さんは、1976年、
「下町ホフマン」公演を最後に、
置き手紙を残し、突然劇団を退団してしまいます。

実は、「状況劇場」は、
1972年から1974年にかけて、

韓国のソウル、バングラデシュのダッカ、
パレスチナの難民キャンプと、
世界の火種ともいうべき場所で、
公演を敢行されていたとのことで、

大久保さんは、

燃え尽き症候群に陥ったのかもしれません。

とその理由について語っておられました。

建設会社?

こうして、劇団を退団した大久保さんは、
お兄さんのツテを頼りに、
横浜の仮設足場建設会社に入社されるのですが、

大久保さんの実家は、
代々、新潟の大地主だそうで、

その会社の社長が、お父さんの、
小作人だった方だったことから、
大久保さんはいきなり専務の座に!

仕事は現場監督だったそうですが、
体裁を保つためにベンツに乗るなど、
華やかな暮らしをされており、

結婚後は、3人のお子さんにも恵まれるなど、
何不自由のない暮らしをされたのでした。

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演劇界に復帰

しかし、そんなある日、
大久保さんの会社に1枚のFAXが。

差出人は、作家の嵐山光三郎さん、
いう方だったそうですが、

そこには、

唐さんが会いたがっている

と書かれてあったのでした。

そこで、大久保さんは、
唐さんに再会されたところ、

「状況劇場」を解散し、新しい劇団(「唐組」)
を旗揚げするので戻ってきてほしい。

と、唐さんに懇願されたそうで、
大久保さんは即座に承諾。

1988年、劇団「唐組」の旗揚げ公演に参加され、
実に13年ぶりに演劇界に復帰されたのでした。

唐組『電子城』より。(左から)大久保さん、唐十郎さん、千野宏さん。

以降、現在まで、大久保さんは、
劇団「唐組」公演はもちろん、

「状況劇場」
の流れを組む、劇団「新宿梁山泊」や、
その他の舞台公演で活動を続けられています。

さて、いかがでしたでしょうか?

一時はお芝居から離れるものの、
情熱が消えることはなく、
再び、お芝居を始められた大久保さん。

ただ、その一方で、
奥さんとは離婚されてしまったそうで、

当然、食えなくなり、妻から三くだり半。
子どもたちにはそれ以来会ってないですね。

もし再会したら、一緒にケーキでも食って、
「おまえのオヤジは今でもぶざまに芝居続けてるぞ」
とでも言ってやりますか、ハハハ。

と、笑っておられました。

現在は、都内の、
公団住宅に住んでおられるとのことですが、

もう一度パレスチナで芝居をやりたい。
それが今の夢です。

と、将来の夢を語っておられ、
到底、70代半ばとは思えないバイタリティ。

大久保さんの挑戦は、
まだまだ続きそうです!!

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