「出発の時」「だれかが風の中で」など数々のヒット曲を持つほか、「3年B組金八先生」では社会教師・服部肇役を演じるなど、俳優としても活躍されている、上條恒彦(かみじょう つねひこ)さん。今回は、そんな上條さんの生い立ち、歌手になった経緯などについてご紹介ます。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

上條さんは、1940年3月7日生まれ、
長野県東筑摩郡朝日村のご出身、

身長176センチ、
体重75キロ、

血液型はO型、

趣味は、畑仕事、

特技は、ギター、

学歴は、
朝日中学校(現・松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)
⇒長野県松本県ヶ丘高等学校卒業

ちなみに、「上條恒彦」は本名です。

幼少期は虫を食べる程の貧乏だった

上條さんは、農家を営む、地元では有名な民謡の歌い手だったお父さんのもと、長野県松本近郊の小さな村で誕生するのですが、お父さんは、上條さんが2歳の時に「胃ガン」で他界。

そのため、家はとても貧乏だったそうで、幼い上條さんは、柿、栗、木イチゴ、キノコほか、なんと、イナゴなどの虫類、蛙、蛇などを食べて餓えをしのいでいたそうです。

家族の反対を押し切り俳優を志して上京

そんな上條さんは成長し、高校2年生の時、先輩から、

君は声が良いので演劇をやるといい

と、勧められ、演劇部に入部すると、(同じ先輩かは不明ですが)演劇部の先輩の影響で、俳優を目指そうとしたそうですが、家族は反対。

そこで、上條さんは、

新劇の俳優になるんだ

と、啖呵(たんか)を切り、高校卒業後の1958年4月、俳優を目指して上京されたのでした。

舞台芸術学院に入学するも・・・

こうして、上京した上條さんは、雑貨問屋の住み込み店員をはじめとする様々な仕事を転々とした後、1962年、「舞台芸術学院」に14期生として入学したそうですが、

上條さん自身は標準語を話しているつもりでも、アクセントやイントネーションが違っていたことから、それを直されてばかりと、言葉の問題で大変だったほか、もともと運動が得意ではなかったため、バレエのレッスンも辛く、暗黒の毎日だったそうです。

さらに、食べることもままならないほどの貧乏だったそうで、「舞台芸術学院」に通い始めた最初の頃は、新聞配達をしていたそうですが、(理由は不明ですが)クビになってしまい、

その後、サンドウィッチマン(広告看板を胴の前面と背中に取り付け、街の特定の場所に立っていたり、歩いたりしている人のこと)の仕事を始めるも、雨が降るとあぶれてしまい、一銭も稼ぐことができなかったそうです。

(実家では、貧乏ながらも山村だったことから、何かしら自然のもので食べ物にありつけたそうですが、食べる物がないということが、こんなに辛いことなのかと、この時初めて分かったのだそうです)

「歌声喫茶」のオーディションに合格

そんな中、「歌声喫茶」でアルバイトをしていた舞台芸術学院の2年先輩が、別の「歌声喫茶」でアコーディオンを弾いていた先輩を紹介してくれると、そのアコーディオンを弾いていた先輩がオーディションをしてくれたそうで、上條さんは見事合格。

こちら(サンドウィッチマン)は屋根のないところで「いらっしゃい、いらっしゃい」で、向こうは屋根のあるところで歌を歌っていて、給料もいい。

と、「歌声喫茶」で歌を歌うアルバイトを始められたそうです。

(「歌声喫茶」とは、お客さんが合唱するための喫茶店で、インストラクターがアコーディオンを弾きながら簡単な合唱や輪唱の指揮をとっていたそうです)

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「食える」の一言で俳優から歌手へ転身

そして、まずは、見習いとして、コーヒーを運びながら、歌の勉強をされていたそうですが、

上條さんのダイナミックな歌声を聴いたマスターから、

舞芸(舞台芸術学院)を出ても役者なんてやっていたら三十、四十になったって食えねえぞ。だけど、お前は声がでかいから歌をやれば何とか食えるようになるかもしれない

と、歌手の道を勧められ、

いつもお腹をすかしていた上條さんは、「食えるぞ」という言葉が重く響き、役者をあきらめ、舞台芸術学院を中退。

高校を卒業する時に兄貴やおふくろを説得するのに「新劇の俳優になるんだ」と啖呵(たんか)を切って、自分も俳優を一生の仕事にしようと思っていました。

舞芸(舞台芸術学院)に入る前に働いていた時も、その望みを秘めて頑張ってきました。そうやって長年温めてきた夢を、腹減ったぐらいのことで諦めていいのかという忸怩(じくじ)たるものはありました。

で、その時に「役者の道を見限るんなら、もう絶対に役者にはならない。歌で頑張るぞ」と誓いを立てました。それからはピアノを練習したり、楽譜を読めるように勉強しました。

と、飢えることがないと思われた、歌手を目指すこととなったのでした。

「上條恒彦が若い頃は「だれかが風の中で」がヒット!」に続く

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