1979年、上田雅利さんと吉田彰さんが脱退後は、新メンバーの宮城伸一郎さんと伊藤薫さんを加えて、「チューリップ」を再始動した(第二期)、財津和夫(ざいつ かずお)さんですが、1985年には、姫野さん、安部さん、伊藤さんも脱退し、新メンバーの松本淳さんを加えて、「チューリップ」を再始動するも(第三期)、ファン離れが加速します。

「財津和夫は吉田彰がチューリップを辞めた理由が分からないと言っていた!」からの続き

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第二期「チューリップ」として再始動するも・・・

1979年、上田雅利さんと吉田彰さんが脱退後、新たに、宮城伸一郎さん(ベース)、伊藤薫さん(ドラムス)を加え、安部俊幸さん、姫野達也さんの5名で、「チューリップ」を再始動した財津さんは(第二期)、

これまでのフォークソング風な楽曲から、シンセサイザーやデジタル機器を使用した電子音を前面に押し出したサウンドで、財津さんの音楽的志向の変化を反映した、宇宙、平和、環境問題、未来、普遍的な愛などをテーマにした、ポップで壮大なサウンドを構築するのですが、一転、セールスは低迷。

それでも、精力的にライブ活動を展開し、1982年には、通算1000回のライブを達成して、21000人の観客を動員するのですが・・・

1985年夏には、今度は、姫野さん、安部さん、伊藤さんが、27枚目のシングル「アイ・アイ・アイ」を最後に脱退してしまいます。

姫野達也、安部俊幸、伊藤薫が脱退

ちなみに、脱退について、

財津さんは、

わだかまりがあった

と、のみ、明かしているのですが、

姫野さんは、2002年、自身初のソロコンサートで、

僕はですね、すごいあの音楽を始めたきっかけというのはさっき話しましたけど、ビートルズの音楽が好きで、ビートルズに魅せられてビートルズみたいなバンドがやりたいなって思って始めたわけですけども、そういうビートルズが持っているポップなイメージ、そういう音楽が今でも一番好きなんですね。

で、僕の中ではチューリップというグループもそういうグループだったんですけども、あるときえーっと、ある時期僕はチューリップを抜けることになりました。というのも財津さんがやっている音楽、そして僕が求めている音楽というのがちょっとずつ...

まあ人はちょっとずつ変わっていくんですけども僕はなかなかそういう変化というのが無くて、やっぱり最初に好きな音楽がずっと好きで、今でもそうなんですけど、一番好きだし一番得意としてるし、それをやっぱり皆さんに聞いていただきたいなとずっと思ってまして、で、少しずつこの音楽性とか音楽の方向とかが違ってきたという風に感じたんですね。

それでその違いをずっと感じながらライヴとかをやるのはちょっと自分の中で納得できない部分があったんで思い切って(安部俊幸さん、伊藤薫さんと共に)オールウェイズというグループで自分の音楽をやってみよって思ったんです。

と、明かしています。

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第三期「チューリップ」として再始動するもファン離れが加速

それでも、財津さんは、残ったメンバーの宮城伸一郎さんと新メンバーの松本淳さん(ドラム)と共に、数人のサポートメンバーや、財津さん自身の多重録音などにより、アルバム「I Like Party」(1985年8月31日発売)を完成させると、

(財津さんは、この時期を第2.5期と呼んでいるそうです)

同年(1985年)9月11日には、さらに、新メンバーの丹野義昭さん(キーボード・ヴォーカル)とサポートメンバーを3名加え、「I LIKE PARTY」ツアーを開始するのですが(第三期)・・・

安部さんや姫野さんがいない「チューリップ」を「チューリップ」とは認めたくないというファンも多く、この第三期では、数多くの「チューリップ」ファンが離れていったのでした。

(当初、3人の脱退は明らかにされず(正式な発表は翌1986年)、1985年夏の新メンバーによる「I LIKE PARTY」ツアーの直前に、一部メディアでのみ、3人の脱退が報道されたことから、ファンの反発を招くことになり、「I LIKE PARTY」ライブ開演直前には、脱退したメンバーの名前を叫ぶファンもいたそうです。また、熱心なファンによると、メンバーで知っている顔は、宮城さんだけだったため、まるで、財津さんのソロコンサートのようだったとのことでした)

「財津和夫が「チューリップ」を解散した理由とは?」に続く


I Like Party

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