1971年、19歳の時、バンド「ブレッド&バター」のベーシストとしてデビューすると、たちまち頭角を現し、「サディスティック・ミカ・バンド」「サディスティックス」などでも活動すると、
その後、作編曲家へ転身し、工藤静香さんの「慟哭」やとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」ほか、80年代を中心に数々の大ヒット曲を手掛けた、後藤次利(ごとう つぐとし)さん。
そんな後藤次利さんは、幼い頃、テレビを見ることが好きで、「アマチュア勝抜きエレキ合戦」を見て、音楽に憧れるようになると、中学2年生の時には、「寺内タケシとブルージーン」のあまりの大音量と迫力に衝撃を受け、すぐに楽器を始めたい衝動に駆られて、エレキギターを始めたといいます。
今回は、後藤次利さんの生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

後藤次利のプロフィール
後藤次利さんは、1952年2月5日生まれ、
東京都品川区西五反田(現・東京都品川区)の出身、
学歴は、
青山学院高等部
⇒青山学院大学卒業
ちなみに、「後藤次利」は本名で、「GO TO」名義で活動していたこともあったそうです。
後藤次利は幼い頃からテレビ番組で音楽の世界に憧れるようになっていた
後藤次利さんは、幼い頃、テレビ草創期だったこともあり、テレビが子供たちに大人気だったそうですが、後藤次利さんも例に漏れず、テレビを観ることが大好きだったそうで、
そんな中、テレビで、「アマチュア勝抜きエレキ合戦」などを見て、
カッコイイ!!
と思い、音楽の世界に憧れるようになると、
音楽への憧れから、
自分も楽器をやってみたい
と、純粋に思うようになったそうです。
ただ、この時は、野球にも夢中になっていたことから、それほど強くは思っていなかったそうです。
後藤次利は中学2年生の時に「寺内タケシとブルージーン」の大音量と迫力に衝撃を受けていた
また、後藤次利さんは、中学2年生の時には、お姉さんが、ビートルズやベンチャーズのレコードを買って来て聴いていたことから、一緒に聴いていたそうですが、
アメリカのバンド「アストロノーツ」(アストロノウツ)が来日した際、お姉さんに、渋谷公会堂で開催されたコンサートに連れて行ってもらうと、
前座のサポートバンド「寺内タケシとブルージーン」の、あまりの音量と迫力に衝撃を受けたそうで、
あの音が凄い!楽器を始めたい!
と、急に楽器を始めたくなったそうです。
後藤次利は中学2年生の時にエレキギターを始めていた
こうして、後藤次利さんは、親にねだって商店街の楽器屋さんでエレキギターを買ってもらうと、同じ商店街にある楽器教室にも通い始め、ベンチャーズなどの曲を、手とり足とりマンツーマンで教えてもらったそうで、
後藤次利さんは、
とにかく大変なギターブームでしたから(友人達も)皆んなギターばっかりで。かと言ってバンドを組むほどは、上手くなかった。
当時は、専門的な音楽教育などは全く知らなかった。そんな少年達がテレビの影響でエレキをやり出したという時代でしたね。
と、語っています。
後藤次利は高校の軽音楽部で顧問の先生の影響によりジャズの音楽理論を体系的に学んでいた
そんな後藤次利さんは、中学卒業後は、青山学院大学の附属高校に進学し、軽音楽部に入部したそうですが、
そのクラブは、顧問の音楽の先生がとても粋な人で、普通のバンド活動ではなく、ジャズ風の音楽を主体に練習をしていたそうで、
後藤次利さんは、コードの積み重ね(和音の仕組み)やジャズ特有の進行や理論など、ジャズの音楽理論を体系的に学び、知識として理解するようになったそうです。
さらに、後藤次利さんは、同時期、学校の軽音楽部のほかに、別のギタースクールにも通い、音楽理論を勉強したそうで、そこで得た知識をもとに、ピアノを専門にしている仲間とセッションなどもしたのだそうです。
ちなみに、中学時代は、ロックやポップスを耳コピーで演奏することが多かったそうですが、このような、”少し頭を使う音楽”や、異なるバックグラウンドを持つ人たちとの交流もとても有意義なものになったといいます。
(軽音楽部には、後の「ティン・パン・アレイ」でドラムを担当していた林立夫さんも在籍していたそうです)
「【画像】後藤次利は若い頃ギターからベースに転向!サディスティックミカバンドも!」に続く
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1971年、ベーシストとしてプロデビューすると、1980年代には、主に編曲家やプロデューサーとして活動し、沢田研二さん、シブがき隊、一世風靡セピア、おニャン子クラブ、工藤静香さんなど、特にアイドルの楽曲でヒットを飛ばした …







