1972年に「劇団四季」に入団すると、1973年には、「ジーザス・クライスト・スーパースター」の主演でデビューし、たちまち脚光を浴びた、鹿賀丈史(かが たけし)さんですが、子どもの頃は病弱で人前で話すことが苦手だったといいます。

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年齢は?出身は?身長は?

鹿賀さんは、1950年10月12日生まれ、
石川県金沢市のご出身、

身長180センチ、

靴のサイズは27センチ、

血液型はO型、

学歴は、
金沢市立材木町小学校
⇒金沢市立野田中学校
⇒石川県立金沢二水高等学校卒業

趣味は、
読書、カラオケ、ゴルフ、だそうです。


1歳頃の鹿賀さん。

本名は?芸名の由来は?

ちなみに、鹿賀さんの本名は、「勝田 薫且(かつた しげかつ)」なのですが、「劇団四季」の元代表で演出家の浅利慶太さんが、鹿賀さんが金沢出身であることから、「カガ(加賀)」と名付けられたそうです。(昔、金沢は加賀国にありました)

そして、「加」の代わりに「鹿」の字を用いたのは、

鹿のように俊敏に、澄んだ目をしていろ

との、思いが込められているのだそうです。

少年時代は病弱&自閉症気味で自殺願望があった

さて、鹿賀さんは、洋服の仕立て屋のお父さんと、北陸一のゴム風船製造会社の娘だったお母さんのもとに誕生すると、裕福な家庭で何不自由なく育つのですが、

小学生の時は、虚弱体質で拒食症になったこともあり、また、自閉症気味で人前で話すことが苦手な子どもだったそうで、そのためか、子どもの頃から自殺願望があり、特に、中学から高校2年生くらいまでは、とてもひどかったそうです。


お父さんに抱っこされる赤ちゃんの頃の鹿賀さん。

小学校の時に声楽家に憧れる

その一方で、近所から琴の音が聴こえてくる、金沢の町で育ったことから、幼い頃から人前で歌うことは好きで、小学4年生(9歳)の時、少年合唱団に入られると(中学2年生まで所属)、

小学校の卒業文集では、

将来声楽家になりたい

と、書くほど、歌うことに夢中になったそうです。

高校時代は合唱部でテノール&指揮者として活動していた

そんな鹿賀さんは、中学校ではブラスバンド部で活動すると、中学卒業後は、コーラスの名門高校に進学し、合唱部に入部。

ここでは、クラシックを勉強しながら、テノール、指揮者として活動し、全国大会に出場するほどの腕前だったそうです。

声楽家を目指し浪人するも大学進学に興味を失う

そして、高校卒業後は、プロの声楽家(クラシックの歌手)を目指し、東京音楽大学や東京藝術大学などを受験するも不合格となり、上京して、浪人生活を送ることになったそうですが、

東京での浪人中、

音大に受かっても大半の就職先は音楽の先生

という現実を知って打ちのめされると、受験勉強に身が入らなくなってしまい、ホストクラブで歌を歌うアルバイトなど、あちらこちらで、ちょこちょこと歌うという生活を送るうち、なんと、3年もの月日が過ぎてしまったのでした。

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「劇団四季」に研究生として入団

そんな中、1972年、

(アルバイト仲間の一人が)「四季」を受けるから、お前も受けてみろよ!

と、別のアルバイト仲間に勧められたそうで、

鹿賀さんは、

四季って何?

と、思いながらも、その友人と一緒に、「劇団四季」のオーディションを受けると、なんと、見事、合格。(残念ながら、一緒に受けた友人は落ちてしまったそうです。)

鹿賀さんは、同年、「劇団四季」に研究生として入団されたのでした。

「鹿賀丈史は劇団四季の初舞台でいきなり主演に抜擢されていた!」に続く

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