世界中で愛されている、とても身近な存在であるテディベア。1903年に、アメリカでテディベアと名付けられ、大ブレイクするのですが、その誕生の裏には意外な出来事があったのでした。


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ルーズベルト大統領

1902年、当時のアメリカ大統領、
セオドア・ルーズベルトは、

休暇を利用して、
ミシシッピ州のスメッズという場所に、
熊狩りに来ていました。

しかし、いくら探してもクマは見つからず、
とうとう、おつきの人が、

大統領の面目をつぶさないように、
あらかじめ、生け捕りにしておいた小熊を、
大統領に差し出したのだとか。

しかし、大統領は、

「瀕死の熊を撃つのはスポーツマンシップ精神に反する」

と、その用意された小熊を撃つことを拒否。

この出来事が、ワシントンポスト紙に、
政治漫画家のクリフォード・K・ベリーマンよって、
美談として掲載されたのでした。

この漫画のくまは、その後「ベリーマンベア」と呼ばれ、
現在でもなお、世界中のファンに愛されています。

名前の由来

当時ニューヨークで駄菓子屋を営んでいた、
モリス・ミットムは、この記事を読み、

大統領のニックネーム「テディ」
という名のくまのぬいぐるみを作れば、
売れるのではないか、とひらめきます。

そこで、モリスは、大統領に、

名前を使わせてほしい

とお伺いをたてたところ、大統領は快諾。

モリスの妻が、漫画を見ながら、
関節のある、くまのぬいぐるみを作り、

自分の経営する駄菓子屋で、
「テディベア」として売りだしたのでした。

大ヒット

すると、モリスのひらめきは見事にあたり、
テディベアは大ヒット!

卸商のバトラー兄弟が、
在庫を買い占めるほどの人気を博し、

モリスは、
バトラー兄弟のバックアップのもと、

テディベアを生産する会社、
「アイディアル・ノヴェルティ
・アンド・トイ・カンパニー社」
を興こすまでに。

実は、モリスはロシアからの移民で、
ロシアで自分の死亡届を出してまで、
アメリカに渡って来たのですが、

素晴らしいひらめきで、
テディベアを誕生させ、
見事アメリカン・ドリームを掴んだのでした。

大統領もお気に入り

そして、ルーズベルト大統領本人も、
とてもテディベアを気に入り、

小さなテディベアを、
ホワイトハウスに飾ったり、

テディベアを選挙戦のマスコットにするなど、
自分のイメージキャラクターにしていたようです。

ルーズベルト大統領は、
歯を出して笑う笑顔が印象的だったため、

それをモデルにした、
「笑うルーズベルト・ベア」
なるものが作られるほど、

大統領とテディベアの結びつきは、
強固なものになっていったのでした。

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世界的な人気者に

こうして、たくましく、愉快で、楽しい、
そんな、ルーズベルト大統領の性格を、
彷彿とさせるテディベアは、

国民に幸せや安らぎをもたらす象徴として、
アメリカ人に愛され、

現在では、くまのぬいぐるみの象徴、
と言えるまでに、全世界に広まったのでした。

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