大学中退後、演出家を目指して劇団「七曜会」に演出家研修生として入団されるも、俳優として舞台に立つようになった、野沢那智(のざわ なち)さん。劇団「七曜会」退団後は、劇団「城」を旗揚げし、演出家として活動されるのですが、経営がうまくいかず解散。その時に抱えた借金を返済するために始めたアテレコ(声優業)で人気を博します。


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プロフィール!

野沢さんは、1938年1月13日生まれ、
東京府(現・東京都)のご出身です。

身長167センチ、
体重52キロ、

血液型はAB型、

学歴は、
國學院大學政経学部中退、

本名は、野沢那智(のざわ やすとも)ですが、
正しい名前で呼ばれたことがなかったため、
誤った呼び方がそのまま芸名になったそうです。

ちなみに、
長男には俳優の野沢聡さん、
姪にはタレントの野沢直子さん、
がいらっしゃいます。

舞台美術家を目指す

野沢さんは、中学生の時、自宅の近くにあった劇場「明治座」に、
お芝居を観に毎日のように通われていたそうですが、
実は、俳優ではなく舞台装置を見ていたそうで、

家に帰るとみかん箱を舞台にみたて、
ミニチュアを作って遊ぶほど、舞台が好きだったそうです。

そして、大学3年生の時には、
舞台美術家を目指してプロの劇団に入り、
大道具を手伝うようになります。

ただ、その劇団の舞台美術家からは、

おまえ絵がヘタだな。思いつきはいいんだけど。
向いてないよ。やめろ。

と、言われてしまいます。

演出家を目指すも俳優に

それでも、芝居関係の仕事があきらめきれなかった野沢さんは、
次は、演出家を目指して大学を中退し、
劇団「七曜会」に演出家研修生として入団されるのですが、

今度は、主宰者の高城淳一さんに、
とりあえず役者をやるように言われ、
いきなり舞台に出ることに。

以降3年ほど、
同劇団で俳優として活動されたのでした。

劇団「城」を旗揚げするも・・・

その後、野沢さんは、劇団「七曜会」を退団されると、
仲間を集めて、劇団「城」を旗揚げ。

そこで、ついに念願の演出をされるのですが、
難しい演目ばかりをやっていたため、
お客さんが入らず、劇団は分裂してしまいます。

また、野沢さんは、活動期間の3年間で370万円
(現在の貨幣価値に換算すると約2000万円!)
の借金を背負うことになってしまったことから、
アパートを引き払い、友人の家を転々とすることとなるのですが、

それでも、1個15円のコッペパンが食べられた日は、
「今日メシ食ったぞ」と、とても嬉しく、
そんな生活が少しも辛くなかったそうで、

野沢さんは、

芝居が好きっていうのもあるけど、
日本中が貧乏だったからでしょうね。

と、おっしゃっていました。

吹き替えのアルバイトに精を出す

ちなみに、この頃(1960年代前半)、野沢さんは、
洋画の吹き替えのアルバイトをされているのですが、

実は、当時はまだ、声優という言葉はなく、
俳優が吹き替えをしていたそうで、

映画・テレビ俳優は、吹き替えの仕事を、

俳優として、自分のオリジナリティを、
捨てているようなものだ。とんでもない。

と、完全に見下していたことから、

主に劇団に所属している俳優(舞台俳優)が、
アルバイトとしてやっていたのだとか。

ただ、野沢さんにとっては、
拘束時間の長いテレビドラマの仕事より、
一定期間で終わる吹き替えの仕事の方が、
時間的に効率が良かったことや、

まったく関係のない業種のアルバイトをするよりは、
しゃべる仕事である吹き替えのほうが勉強になることもあり、
積極的に吹き替えのアルバイトをされていたそうです。

アテレコ(声優業)へ

それでも、借金返済のメドが立たず、
困り果てていたある日、銀座を歩いていると、

劇団「七曜会」の時の先輩だった、
八奈見乗児さんにばったり出会い、

「何か仕事ないですか」

と、聞いたところ、

「アテレコ(声優業)やればいいじゃないか」

と、言われ、

声優・俳優事務所「東京俳優生活協同組合」を、
紹介してもらったそうで、

その後、野沢さんは、
本格的にアテレコの仕事をスタートすると、

「アテレコで若い男の役といえば野沢那智」

と、言われるほどの活躍。

どんどん仕事が回ってくるようになり、
1日3本もこなされることもあったのでした。

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「0011ナポレオン・ソロ」でブレイク!

そして、1年半後には借金も半分になり、
そろそろアテレコの仕事をやめようと思い始めた頃、

最後にこのオーディションに行くだけ行ってきてよ。
ほとんどキャストは決まっているんで、多分落ちるから大丈夫。

と、言われて紹介されたのが、

アメリカのスパイドラマ「0011ナポレオン・ソロ」
(アメリカ放送1964年~1968年)のオーディションだったのですが、

なんと、野沢さんは、主要人物であるデヴィッド・マッカラム
(演:イリヤ・クリヤキン)の声に抜擢されてしまいます。

しかも、このドラマが1966年に放送を開始すると、
視聴率40%を記録する大当たりとなり、
野沢さんはたちまちブレイク!

こうして野沢さんは、アテレコをやめるわけには、
いかなくなったのでした(笑)

「アランドロンの声!コブラ!ダイハードも!死因は?妻は?息子は?」に続く

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