凄みのある敵役を数多く演じられる一方で、「工藤ちゃ~ん!」で有名な「探偵物語」の服部刑事など、コミカルな役も好演されるほか、数多くのテレビドラマや映画で幅広い演技を披露された、成田三樹夫(なりた みきお)さん。今回は、そんな成田さんの知られざるプライベートを奥さんとのエピソードからご紹介します。
「成田三樹夫の仁義なき戦いほか出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
妻との馴れ初めは?娘も?
成田さんは、一般人の女性・温子さんと結婚されると、その後、娘さんが複数誕生しているようです。(娘さんに関しては、詳しいことは不明)
温子さんによると、成田さんが32歳、温子さんが19歳の時、共通の知人を通じて知り合われたそうで、成田さんから時々電話が来るようになり、食事や、映画、お酒を飲みに連れていってくれるようになり、その後、結婚に至ったそうです。
温子さんは、3人姉妹の末っ子だったため、とても良いお兄さんができた、といった感じだったそうですが、ある日のこと、デートで日比谷へ映画を観に行き、その帰りに食事をしていた時、
温子はどんな本を読んでる?
と、成田さんに、突然、聞かれたそうで、
温子さんは、突然の質問に焦りながらも、これまで読んだことのある数少ない本の中で、太宰治の名前を挙げると、成田さんは、
太宰は僕も好きだよ。あとね、ドイツの作家なんだけどハンス・カロッサと言う人の本なんか温子にいいんじゃないかなと思うんだ。透明感があってサラッとしている文章で読み易いよ。何と言う事ない様でいて読後が清々しいんだ。
と、本を勧めてくれたそうです。
そこで、温子さんは、家に帰ってからさっそく本屋さんに探しに行ったそうですが、絶版となっていたため、今度は古本屋をまわり、3軒目の古本屋で、ようやく、「ハンス・カロッサ全集」を見つけ、買い求められたそうで、
以来、この本は、温子さんの大切な本となり、現在でも時々読み返すほどの愛読書になっているのだそうです。
(このほか、温子さんは、もう一冊、成田さんの叔父さんが訳した本で、叔父さんから直接もらったカロッサの本も大切にされているそうです。)
本で夫婦の絆を深める
ちなみに、温子さんは、成田さんから、
何でも一生懸命読まなきゃ駄目だ。詩でも小説でも作者は命懸けで書いているんだ。だから読む方だって命懸けで読まなきゃ失礼なんだ。
そうでなければ字面ばかり追うだけで本当の宝物は作者は見せてくれないんだよ
と、本の読み方を教えてもらうも、とてもそういう読み方ができそうになかったことを明かされているのですが、
結婚後、初めて、京都へ行った成田さんから届いた便りに、
カロッサも毎日少しづつでも続けて下さい。そして人並みはずれて誠実な人間がどんなことを考え続けどんな具合に生きていったかを少しでも分かって欲しい。
(中略)
僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上ない醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師のようなそんな具合に生き続けるのが男の務と思っています。色気のない便りになって御免なさい。
と、書かれてあったのを読み、
成田は、こういう本質の部分を最後まで持ち続けていた人だと思います。人並みはずれて一生懸命、真正面から何かを見つめ、考え、その為に苦しんだり、傷ついたり悲鳴を上げながらも自分に鞭を打つ。
これが成田の聖域なので決して触れない部分だと思っていますし、私などには計り知れない世界でしょう。私の様な俗人から見ると何故そんなに自分を痛めつけなければならないのかと思いますが、これはそういう感性を持って生まれた成田の業のようなものではないかと思います。
と、カロッサを通して、成田さんの内面を深く知ったと、おっしゃっていました。
死因はスキルス胃ガン
そんな成田さんも、1990年4月9日、東海大学医学部附属東京病院で、「スキルス胃ガン」のため、55歳の若さで他界されているのですが、
葬儀後、親しい友人たちがなんとなく成田さんの自宅に集まると、その中の一人がしみじみと、
何でこんなに成田さんに拘るのかと考えたけど、結局、僕は理屈抜きで成田三樹夫という男が好きだったんだ。それだけなんです。
と、温子さんにおっしゃったそうで、
温子さんは、自身もまったく同じ気持ちだったことや、成田さんにとってこの上ない言葉だったため、嬉しくて涙が出たそうで、
東北人らしく非常に腰の重い人でした。それがやっと仕事に、そしてライフワークに欲が出てきて今まで蓄積して来たものをまとめ上げて行く行く段階でした。その成果を出せなかった事を無念に思います。
しかし探求心の旺盛な人で天体等にも興味をそそられていましたので、今頃はのんびりとこちらの世界からは見えなかった星や宇宙空間を楽しんでいるかも知れません。
成田が本を通して語り合って来た方々とも時空を超えてお会いしているかも知れませんし、そうであってほしいと思います。こちらの生臭い世界より成田にとっては黄泉の国の方が過し易い様にも思います。
男として真っ当な事を考え、真っ当に生きた人、そして人一倍の厳しさ、人一倍の優しさを生き抜いた人、肉体よりもむしろ神経の方が寿命ではなかったかと感じています。<あなた、おつかれ様でした。又会える時まで>
と、成田さんへの思いを語っておられました。
俳句
ところで、成田さんは、どちらかというと筆不精だったそうですが、その罪滅ぼしだったのか、年賀状だけは、毎年、全部手書きされていたそうです。
それが、ある時、知人からもらった暑中見舞いのハガキに、爽やかな緑の葉に白い花をつけた野草の押し花が添えられていたそうで、
成田さんは、それを嬉しそうに眺め、
心遣いが・・・・・・いいねェ
と、一人、悦に入られていたとのこと。
そして、その翌年から、年賀状に俳句を書くようになったそうで、
温子さんは、
非常にシャイな面のある人だけに、娘達に何かを伝えるとか特別話し合うとかは、あまり無かったのです。割合黙って感じ取れというタイプでしたから。
それだけに句を通して娘達には父親としての、また、母や友人達には一人の男としての、言ってみれば”生きた証”の様な事を伝えたかったのではないかと思っています。
と、成田さんが亡くなった翌年の1991年には、成田さんの作品を集めた「鯨の目-成田三樹夫遺稿句集」を出版されています。
さて、いかがでしたでしょうか。
成田さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 役人になるため東京大学に入学
- 「俳優座養成所」卒業後「大映」と大部屋俳優契約
- 「座頭市地獄旅」の浪人役で敵役
- 「東映」に入社後はヤクザ映画の常連俳優として
- 公家や今川義元役がハマり役
- 「探偵物語」で松田優作に工藤ちゃん?フィギュアも!
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 妻との馴れ初めは?娘も?
- 本で夫婦の絆を深める
- 死因はスキルス胃ガン
- 俳句
について、まとめてみました。
数多くの時代劇やヤクザ映画で敵役を演じてこられた成田さんですが、その素顔は、文学やお芝居を愛する、とても物静かで知的な方で、多くの人々から慕われていたようです。
この機会に成田さんの作品をご覧になってはいかがでしょうか。
成田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「成田三樹夫は東大中退!若い頃から敵役やヤクザ映画で活躍!」