フライデー襲撃事件やバイク事故のほか、不倫、隠し子疑惑など、様々な報道をされてきた、ビートたけしさんですが、そんなたけしさんと長らく連れ添われた元奥さんとはどんな方だったのでしょうか。

「ビートたけしの出演ドラマ映画と監督作品(北野武)を画像で!」からの続き

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元嫁は漫才師

たけしさんは、1983年、女流漫才師だった松田幹子さんと結婚されています。

幹子さんは、大阪出身で、武庫川女子大学短期大学部在学中に、「ピンアップトリオ」のピンアップ敦子さんの弟子になると、

1971年には、「司ミキ」の芸名で「司ミワ」さんとコンビを組み、女子大生コンビ「ミキ&ミワ」として漫才師デビュー。

ただ、人気はパッとしなかったのか、すぐに「渚ミキ」に改名。

その後、一時的に前田五郎さんに師事した後、東京に移ると、内海桂子さん・内海好江さんに弟子入りし、「内海ミキ」の芸名で内海ミチさんと漫才コンビ「ミキ&ミチ」を組み活動するも、2年で解散されています。

馴れ初めは?

そんな幹子さんとたけしさんの馴れ初めですが、たけしさんが、1978年、「ツービート」として演芸番組「大正テレビ寄席」に出演した際、アシスタントのアルバイトをしていた幹子さんと知り合い、交際に発展したそうで、

ほどなくして同棲されると、幹子さんは、漫才師を引退し、近所のスナックでアルバイトをしながら、たけしさんの下積み時代をサポートされたそうです。

そして、1979年に漫才ブームが到来し、たけしさんが一躍人気漫才師となられると、1981年には、長男の篤さん、翌年の1982年には、長女の井子(しょうこ)さんが誕生。1983年には、ようやく入籍されています。

(たけしさんは、いつ結婚したか覚えていないと言っています)


(左より)たけしさん、幹子さん、たけしさんのお母さん。

ズルズルと付かず離れずの関係だった

ちなみに、なかなか入籍されなかったのは、お二人の不仲が原因だったようで、特に、井子さんが誕生した頃は、離婚を前提とした話し合いの最中だったとも言われており、

たけしさんは、後に、

勝手に婚姻届を出された

と、言ったり、別居をネタにするなど、結婚生活は付かず離れずの関係がズルズルと続いていた状態だったようです。

といって、たけしさんは、決して幹子さんをないがしろにしていた訳ではなく、毎週金曜日には夫婦でともに食事をしたり、1月18日のたけしさんの誕生日には、「たけし軍団」を招いて恒例のパーティーを開き、幹子さんが手料理をふるまうなど、冷え切った関係という訳ではなかったようです。

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子どもは息子1人と娘1人

そんなお二人の間に誕生したお子さんですが、

まず、1981年に誕生した長男の篤さんは、以前、たけしさんの芸能事務所「オフィス北野」の代表取締役を務められていたのですが、現在は、クリエーティブエージェンシー「博報堂ケトル」に所属し、プランナー(広告などの企画をたてる人)として活動されているそうです。

また、1982年に誕生した長女の井子(しょうこ)さんは、1988年にYOSHIKIさんのプロデュースで歌手デビューしたこともありましたが、


北野井子さんとたけしさん

本人の意思ではなく、当時、反抗期真っ盛りだった井子さんを心配した、たけしさんの意向だったようで、ほどなくして、歌手活動は立ち消えとなっています。

というのも、井子さんは、両親が別居のなか育ったこともあってか、反抗期の時にはかなり荒れ、お母さんの幹子さんと殴り合いのケンカを繰り返していたようで、そんな情緒不安定な井子さんを見て、自責の念を感じたたけしさんが井子さんの芸能界入りを計らったのではと言われています。

ちなみに、井子さんは、その後、2004年に調理師の男性と結婚し、2005年3月には、女の子を出産されているのですが、その後、離婚。娘さんは、井子さんが引き取ったそうですが、現在、その娘さんは、たけしさんの養子となられているようです。

「ビートたけしが100億離婚?理由は18歳下愛人との不倫?」に続く

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