1964年、植木等さんの付き人となられると、植木さんにただひたすら尽くし、優れた気配りから、植木さんに可愛がられていた、小松政夫(こまつ まさお)さんですが、ついに、コメディアンとしてデビューするきっかけをつかみます。
「小松政夫と植木等の親子のような師弟愛が泣ける!」からの続き
「シャボン玉ホリデー」でデビュー
1964年のある日のこと、小松さんは、バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」に出演される植木等さんについて行き、休憩時間に「クレージーキャッツ」のメンバーや、スタッフと談笑していたそうですが、その際、ふと、セールスマン時代のエピソードを披露されたそうです。
それは、小松さんが、当時50歳くらいの威張りくさった課長にカツを入れられていると、その様子を見ていた34歳の部長が課長に一喝。一瞬にして課長がシュンとなってしまった、というものだったそうですが、
小松さんが、面白おかしく、
見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!
と、オカマっぽく体をクネクネさせて、課長のモノマネをしていると、
その様子を見ていたプロデューサーが、翌日の収録時に小松さんの出番を設けてくれたそうで、ついに、小松さんは、バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」で、コメディアンとしてデビューを果たされます。
中列左から2人目が小松さん、前列左から5人目が植木等さん。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」の舞台に出演するも・・・
こうして、小松さんは、植木さんに仕えながら、「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演するようになったほか、「クレージーキャッツ」の舞台や植木さんの主演映画にも出演するようになっていったそうで、
1967年には、「ハナ肇とクレージーキャッツ」が梅田コマ劇場の公演に出演した際、コントからバンド演奏に変わるまでの15分間の休憩を嫌ったハナ肇さんから、5分間、何かやってつないでほしいと頼まれたそうです。
そこで小松さんは、チャンス到来だと、はりきって、舞台上で、ずっこけたり、パンツ一枚で踊ったりしたそうですが・・・まったくウケず。
挙句の果てに、ハナさんからは、
仕方がない、幕を下ろして休憩にしようか
と、言われてしまったのだそうです。
淀川長治のモノマネで人気を博す
それでも、小松さんは、
もう一回やらせてください
と、食い下がったそうで、
実は、小松さんは、その時、テレビで映画解説をする淀川長治さんの顔が浮かんだそうで、次の日、舞台で、淀川さんのモノマネをやってみたところ、これがお客さんにウケます。
そして、その次の日には、小道具さんに借りたメガネをかけ、油性ペンで大きな眉毛を描いて出演したこところ、どっと笑いが起こったそうで、
これはいける
と、思った小松さんは、さらに、
クレージーキャッツのみなさん、元気いっぱいですね。ソーヤングですね。でも、本当は○○歳なんですよ。
と、淀川さんのモノマネをされると、これも大ウケし、ハナさんもスタッフもとても喜んでくれたのだそうです。
その後、小道具さんが、テレビ画面の枠と、眼鏡の上にヒモを引っ張るとピクピク動く大きな眉毛を作ってくれたそうで、以来、小松さんが登場するたびに大爆笑が起きるようになったのだそうです。
本家・淀川長治さん(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」)
淀川長治さんのモノマネをする小松さん。