1961年、「男対男」で映画デビューすると、翌年の1962年には、「大学の若大将」で主演に抜擢され、一躍、人気を博した、加山雄三(かやま ゆうぞう)さんですが、1961年には、バンド「ザ・ランチャーズ」を結成し、ミュージシャンとしても活動されていました。

「加山雄三の若い頃は若大将シリーズでブレイク!」からの続き

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「ザ・ランチャーズ」結成

映画「若大将」シリーズの大ヒットで一躍ブレイクされた加山さんですが、1961年には、「東宝」創立30周年の祝賀パーテイーのため、プロデューサーの藤本真澄さんから、

会社の人間で演奏できるやつを集めてバンドをやれ。映画でも使うぞ。

との命を受け、

「東宝」の俳優仲間である、二瓶正也さん、津田彰さん、佐竹弘行さん、三木敏彦さん、速水洸さんの6名で、バンド「ザ・ランチャーズ」を結成。

(船が進水することを意味する「Lunch」から命名されたそうです)

加山さんは、ヴォーカルとギターを担当するほか、曲も書き、夜はバンドの練習と、多忙な日々を送られていたのですが、やがて、メンバーそれぞれの本業(俳優業)が忙しくなり、自然消滅してしまったそうです。

「第二期ザ・ランチャーズ」には喜多嶋修も

ただ、加山さんは、1963年頃、ヒットアルバムを連発していた、アメリカのインストゥルメンタル・バンド「ベンチャーズ」の、エレキギターによるビートミュージックに興味を持つようになり、

自身がMCを務めるラジオ番組で、「ベンチャーズ」の曲や、自身のオリジナルのエレキ・サウンドを数多く紹介するようになると、

このラジオ番組を、たまたま聴いていた母方の従兄弟で、まだ中学生だった喜多嶋修さんが、加山さん宅を突然訪問してきたそうで、

(喜多嶋さんは「ベンチャーズ」のファンだったそうです)

加山さんは、この訪問をとても喜び、一緒にギターを弾くようになったそうで、修さんを通して、修さんの兄・喜多嶋瑛さんとも知り合うと、

1964年には、喜多嶋兄弟の二人と、修さんの友人である大矢茂さんとの4名で、「第二期ザ・ランチャーズ」(加山雄三とランチャーズ)を再結成されます。


(左から)加山雄三さん、喜多島修さん、喜多島瑛さん、大矢茂さん。

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加山雄三の「ブラック・サンドビーチ」をベンチャーズがカバーしていた

すると、1965年のお正月には、「ベンチャーズ」が初来日し、同年7月には2度目の来日をするのですが、

この2度目の来日の際には、「加山雄三とランチャーズ」は、「ベンチャーズ」と共演を果たし、1週間前に完成したばかりのオリジナル曲「ブラック・サンドビーチ」を披露。

すると、「ベンチャーズ」はこの曲を聴いて大変気に入り、自分達の演奏でシングルをリリースしたそうで、この「ベンチャーズ」のカバーによって、「加山雄三とランチャーズ」「ブラック・サンドビーチ」は、またたく間に、世界のエレキ・インストマニアの間で知られることとなったのでした。

一方、この頃あたりから、日本でも空前のエレキブームが巻き起こり、このブームに目をつけたプロデューサーの藤本真澄さんは、さっそく脚本家の田波靖男さん(すべての「若大将シリーズ」で脚本を担当)に依頼し、映画「エレキの若大将」(1965)が制作されたのでした。

「加山雄三の若い頃は「君といつまでも」が大ヒット!」に続く

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