1971年、大塚康生さんに誘われて、視聴率低迷にあえぐテレビアニメ「ルパン三世」の演出を担当すると、大幅に作風やキャラクターの設定を変更したことで、見事、ヒットに導いた、宮崎駿(みやざき はやお)さんですが、この後も、宮崎さんの快進撃は続きます。

「宮崎駿は「ルパン三世」大ヒットの立役者だった!」からの続き

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「となりのトトロ」の原型アニメ「パンダコパンダ」を制作

低視聴率にあえいでいたテレビアニメ「ルパン三世」を見事にヒットさせた宮崎さんは、翌年の1972年には、大塚康生さん、高畑勲さん、小田部羊一さんらとともに、子ども向け映画「パンダコパンダ」を制作されているのですが(宮崎さんが原案・脚本、高畑さんが演出を担当)、

この「パンダコパンダ」は、一人暮らしの少女・ミミ子のもとに現れたパンダの親子とミミ子の交流が描かれており、

宮崎さんによると、

自分の子どもたちにすてきなアニメーションを見せたい

との思いから作られたそうで、

後の「となりのトトロ」の原型となったそうです。


パンダコパンダ」より。

(ちなみに、この「パンダコパンダ」は、児童文学「長くつ下のピッピ」の影響を受けて制作されたため、ミミ子は、赤毛にそばかすだらけの顔、一人暮らし、と「ピッピ」を連想させる設定になっています。)

「アルプスの少女ハイジ」が大ヒット

そんな宮崎さんは、1974年には、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」で、全カットの場面設定、画面構成(レイアウト)を担当されているのですが、

「アルプスの少女ハイジ」は、最高平均視聴率26.9%となる大ヒットを記録し、ついに、宮崎さんは、大成功を収めたのでした。


「アルプスの少女ハイジ」より。

ハイジは赤毛の三編みの予定だった

ところで、ハイジの造形を担当されていた小田部羊一さんによると、当初、ハイジは、赤毛のおさげ髪を三編みにして、にっこりと微笑む女の子の予定だったそうですが、

ハイジの故郷であるスイスの山へロケハンで訪れてみると、三編みの女の子などいなかったうえ、アルプスの大自然があまりにも厳しく、「ただ笑っているだけのかわいい女の子」では生きてはいけないことを思い知らされたそうで、

ロケハン後、小田部さんは、ハイジのイメージ画を描き直し、あの、お馴染みのショートカットの元気なハイジが誕生したのだそうです。


「アルプスの少女ハイジ」より。

(このようなロケハンは、当時の日本のテレビアニメとしては初の試みだったそうですが、宮崎さん、高畑さん、小田部さんら制作主要メンバーは、世界に通用する優れたアニメ作品にするため、スイスのほかにも、フランス、ドイツを回り、リアリズムを追求されたのだそうです)

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「アルプスの少女ハイジ」の制作現場は超ハードだった

また、「アルプスの少女ハイジ」の制作現場では、ハイジなどのキャラクターだけではなく、雪や山などの背景も同時に動く高度な描写テクニックが、初めてテレビアニメに取り入れられるなど、徹底して高いクオリティを追求していたそうで、

小田部さんは、

高畑監督も宮(宮崎)さんも、作画監督の私に次々と難しい注文をつけてくる。結局、毎週放送ぎりぎりまで何度も描き直す作業が続きました

おかげで描くセル画の枚数が増え、作画監督の仕事は激増していたんです

と、連日、徹夜だったことを明かされており、

ハイジの制作現場は、作品のイメージからは想像もつかない程とても厳しい環境だったようです。

「宮崎駿の(実質的)監督デビューは「未来少年コナン」だった!」に続く

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