壮絶な強制労働の現場から、玄界灘を丸太に捕まって泳ぎ、命からがら逃亡したという、松坂慶子(まつざか けいこ)さんのお父さんですが、その後、お父さんはお母さんと出会い、松坂さんが誕生します。

「松坂慶子の父親は韓国人!玄界灘を泳いで脱出していた!」からの続き

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母親も幼少期に身売りされ身寄りがなかった

壮絶な強制労働の現場から命からがら逃亡し、長崎県・香焼町(こうやぎちょう)に流れ着いた英明さんは、福岡の筑豊の炭鉱などを転々としたそうですが、その後、戦後の混乱期に、仙台でつね子さん(松坂さんのお母さん)と出会ったそうです。

ただ、つね子さんは、日本人で青森の出身ながら、貧しさから幼少期に身売りされたという過去があったそうで、身寄りのない二人は、寄り添うように同棲し始めたのだそうです。

幼い頃は様々な習い事をしていた

そんな二人は、袋物の仕事やリヤカーを使った行商を始めたそうですが、やがて、英明さんが複数の事業を始めると、成功を収めたそうで、兵庫県姫路市に引っ越し、それから神奈川県藤沢市に引っ越し、さらには東京へと移り住み、そんな中、東京で松坂さんが誕生します。

すると、すでに比較的裕福になっていた両親のもとで育った松坂さんは、幼い頃から、とてもおっとりとした性格だったそうですが、

両親共に、教育と芸事に熱心だったため、ピアノ、歌謡レッスン、バレエなど、様々な習い事をしたのだそうです。

(習い事の費用を捻出するため、食事を減らされたという話も)

少女時代は「清水」姓も韓国籍だった

そんな松坂さんですが、少女時代は韓国籍だったといいます。

(1964年、12歳の時に、帰化し日本国籍を取得)

というのも、お母さんのつね子さんは、幼少期に身売りされていたことから戸籍がなく、神奈川県・藤沢市に転居した際、「清水」という姓で戸籍を作ったそうですが、

その戸籍は、すでに亡くなっている韓国人の戸籍を借りたものだったことから、お母さんは、本当は日本人であるにもかかわわらず、韓国籍になってしまったそうで、

お父さんの英明さんも在日韓国人で、日本名は名乗っていたものの、国籍は韓国のままだったことから、その娘である松坂さんも韓国籍となっていたのだそうです。

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父親が松坂氏に入婿して「松坂」姓に

こうして、韓国人の戸籍を借り、「清水」姓を名乗っていた両親のもと、松坂さんは誕生しているのですが(清水英明・つね子の子供として誕生)、

後に、お父さんが、つね子さんと同じ故郷を持つ青森県出身の松坂氏に入婿し、「松坂」姓を名乗るようになったのだそうです。

(松坂姓は青森を発祥としており、日本では数少ない姓なのだそうです)

「松坂慶子は父親によって帰化(日本国籍取得)していた!」に続く

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