1983年、テレビ番組「ザ・テレビ演芸」でコメディアンとしてデビューすると、その後は、映画監督、俳優、ミュージシャンと多方面で才能を発揮してきた、竹中直人(たけなか なおと)さん。今回は、そんな竹中さんのルーツを追ってみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

竹中さんは、1956年3月20日生まれ、
神奈川県横浜市金沢区富岡のご出身、

身長168センチ、

血液型はA型、

学歴は、
富岡幼稚園小学校
⇒関東学院六浦中学校
⇒関東学院六浦高校
⇒多摩美術大学グラフィック科卒業

趣味は、
マンガを描くこと、音楽・映画鑑賞、絵画、写真、

(そのほか、大の猫好きで、独身時代には、捨て猫を拾ってきたりして、一時は、12匹くらい飼っていたこともあったそうです。)

特技は、
拳を口に入れる、オナラの音まね、口笛、

(逆に、竹中さんは、小学校時代から高校時代まで、体育の成績はずっと「1」と、昔から運動が苦手だったそうで、NHK大河ドラマ「秀吉」での走るシーンなどは緊張したそうです。)

ちなみに、竹中直人(たけなか なおと)は本名です。

母方の先祖(高祖父)は五島福江藩の召し抱え絵師

竹中さんの母方の高祖父(4代前)は、長谷川東鶴(通称・平三郎)というそうで、越前(福井県)で生まれ、その後、絵師として京都で活動すると、嘉永元年(1848)には、五島福江藩(長崎県五島市福江島)の召し抱え絵師となり、賓客への土産物などに絵を描いたそうです。

(現在も、五島には江戸時代から続く武家屋敷通りに東鶴さんの屋敷跡が残っているそうですが、当時でも広大な敷地を持つ藩士は限られていたため、いかに東鶴さんが当時の五島福江藩藩主・盛成(もりあきら)から厚遇されていたかが伺えます)

母方の曽祖父は代書人

その後、東鶴さんは、結婚し、息子・清治さんが誕生しているのですが、成長した清治さんは、絵師ではなく、当時では、珍しかった代書人となり、字が書けない島民のために公的書類の代書を引き受けたそうです。

そして、その清治さんの長男である長谷川正直さん(竹中さんのおじいさん)も、家族の誰もが、父親の跡を継いで代書人になるだろうと考えていたそうですが、正直さんは、長崎市内に出て貿易の仕事がしたいと、二度と五島へは戻らない覚悟で家を出て、貿易商として働き始めたのだそうです。


竹中さんの祖父・長谷川正直さん。

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母方の祖父・長谷川正直は貿易商として成功を収めていた

すると、大正4年(1915)には、第一次世界大戦による戦争特需(大戦景気)の影響で、港町である長崎は、石炭などの輸出で空前のにぎわいとなり、

(当時の漫画本「現代漫画大観」に掲載されている風刺漫画には、暗がりで靴を探すために、百円札を燃やす成金の姿が描かれるほどだったそうです。)

この時、個人事業主として生糸の貿易に携わっていた正直さんは、たちまち大成功。

また、その後、長男・正敏さん、長女・静さん、次女・芳枝さん(竹中さんのお母さん)と、3人の子供にも恵まれ、公私ともに順風満帆な日々を過ごしたのだそうです。

(静さんが15歳の夏に書いた家族史には、長崎での裕福な暮らしぶりが記されているそうです)

「竹中直人の祖父は横浜港ドイツ軍艦爆発事故で死去していた!」に続く

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