1968年9月18日、ダブルヘッダー第2試合の巨人戦(甲子園)で、王貞治選手に死球と危険球を連発したことから、怒った巨人の荒川博打撃コーチに蹴りつけられ、殴り返すも、右手の親指を複雑骨折した、ジーン・バッキー(gene bacque)さんは、骨折のせいで残りのシーズンを棒に振ると、シーズン終了後には、近鉄に金銭トレードされるのですが、1969年は、好投を続けるも勝ち星がつかない状態の中、試合中に腰を痛め、その後は思うような成績が残せず、解雇されてしまいます。

「ジーン・バッキーは王貞治へ死球と危険球を連発し乱闘事件となっていた!」からの続き

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バッキーに代わり権藤正利が登板するも王貞治に死球を与え再び乱闘

この乱闘騒ぎで、バッキーさんと荒川打撃コーチが退場になり、約20分の中断後、試合が再開されると、阪神はバッキーさんに代わり、ベテランの左腕・権藤正利投手がリリーフとして登板するのですが・・・

(阪神ファンは、バッキーさんに詰め寄ったのは、王貞治選手だったにもかかわらず、王選手が退場にならなかったことに納得がいかず、「王退場、王退場」のコールが球場中に響き渡っていたそうです)

権藤投手がカウント0-2から2球投じた後の、1-3で投じた3球目のカーブは、なんと、すっぽぬけ、王選手の右側頭部に直撃したそうで、王選手は、倒れたまま動かなくなってしまったのでした。

次打者の長嶋茂雄がホームランで決着

すると、阪神・巨人両軍ナインは、今度はホームベース付近でつかみ合いとなったそうで、王選手が担架に乗せられて球場を後にした頃、ようやく騒ぎが収まったそうですが、

異様な空気が漂う中、続いて打席に入った4番の長嶋茂雄選手が権藤投手からホームランを放ち、決着がついたのだそうです(10対2で巨人が阪神は大破)

(頭部死球は、現在は危険球退場ですが、当時はルール化されていなかったため、権藤投手がそのまま続投となっていたそうです)

荒川博打撃コーチとはすぐに仲直りしていた

ちなみに、バッキーさんは、荒川さんとはすぐに仲直りしたそうで、その後、荒川さんがバッキーさんのところへ来て、

親指はどうだ?

と、聞いてくれたことから、

バッキーさんが、

ダイジョウブ

と、答え、

頭はダイジョウブ?

と、聞くと、

ちょうど、荒川さんのおでこの上の方に「V」の字の傷があったそうで、

まるでVICTORY(勝利)のVじゃないか

と、お互い冗談を言い合ったといいます。

ホームランを打った際には王貞治から声をかけられていた

また、王さんとも遺恨はないそうで、ある日のこと、バッキーさんが後楽園球場でホームランを打ち、一塁を回った際、

王さんから、

いいですね!

と、声をかけられ、

バッキーさんも、

ソウネ

と、返したそうですが、

この試合、バッキーさんは、3打席目でもホームランを打ったそうで、

今度は、バッキーさんから、

王サント、オナジデスネ

と、言うと、王さんは微笑んでくれたといいます。

(バッキーさんは、日本で9本塁打しています)

近鉄に金銭トレードされていた

さておき、バッキーさんは、荒川博打撃コーチの頭にパンチを食らわせた際のケガ(右手の親指の付け根を複雑骨折)により、残りのシーズンを棒に振ると、シーズン終了後の11月9日には、近鉄に金銭トレードされてしまいます。

(この登板(1968年9月18日、巨人戦)が阪神での最後の登板となっています)

そして、翌1969年にはケガも完治し、4月13日、開幕第2戦の西鉄ライオンズ戦に先発すると、2失点で完投するのですが、0対2で負け投手となると、その後も、好投は報われず、7連敗を喫してしまいます。

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椎間板ヘルニア手術の影響で復調できず解雇され現役を引退

さらに、バッキーさんは、同年7月3日のロッテオリオンズ戦で三塁線の打球処理の際に腰を傷めてしまったそうで、8月には椎間板ヘルニアの手術をするも、復調することはできなかったそうで、

このシーズン0勝7敗に終わると、近鉄から解雇され、同年9月25日、失意のうちにアメリカに帰国すると、11月25日、現役を引退したのでした。

「ジーン・バッキーの現役(プロ野球選手)時代の成績が凄い!」に続く

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