十二代目市村羽左衛門さんと、三代目尾上菊五郎さんの次女であるお母さんのもと、次男として誕生すると、1849年11月、二代目市村九郎右衛門として、市村座で初舞台を踏んで以来、江戸の風俗を写した世話物の立役を次々と演じて人気を博した、五代目尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう)さんは、公演中に倒れて体が不自由になり、そのわずか2年後には亡くなっていたといいます。

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年齢は?出身は?本名は?享年は?

五代目菊五郎さんは、1844年7月18日(天保15年6月4日)生まれ、
江戸の芝居町猿若町二丁目の出身、

本名は、寺島清(てらじま きよし)で、

1903年(明治36年)2月18日に、58歳で亡くなっています。

襲名は?屋号は?

五代目菊五郎さんの襲名は以下のように変遷しています。

  1. 二代目市村九郎右衛門
  2. 十三代目市村羽左衛門
  3. 八代目市村家橘
  4. 五代目尾上菊五郎

また、屋号は、「音羽屋」で、

お父さんは、十二代目市村羽左衛門さん
お母さんは、三代目尾上菊五郎の次女、
弟は、初代坂東家橘(十四代目市村羽左衛門)さん、
長男は、六代目尾上菊五郎さん、
三男は、六代目坂東彦三郎さん、

養子には、六代目尾上梅幸さん、二代目尾上菊之助さんがいます。

(五代目菊五郎さんと正妻の寺島さとさんとの間には子どもがおらず、長男と三男は元柳橋の芸者で権妻の秋田ぎんさんとの子どもだそうです)

母方の尾上家を継いで五代目尾上菊五郎を襲名

五代目菊五郎さんは、1844年、市村座の座元で俳優でもあるお父さんの十二代目市村羽左衛門さんと、三代目尾上菊五郎さんの次女であるお母さんのもと、次男として江戸の芝居町猿若町二丁目で誕生すると、

1849年11月には、二代目市村九郎右衛門として、市村座で初舞台を踏み、1851年4月、数え年7歳の時には、大名跡・十三代目市村羽左衛門を襲名して、市村座の座元となります。

そして、1863年には、太夫元(市村座座元)と羽左衛門の名を弟の竹松に譲り、自身は、八代目市村家橘を襲名するのですが、1868年8月には、母方の尾上家を継いで、市村座で五代目尾上菊五郎を襲名し、翌年の1969年には中村座の座頭となっています。

生涯の当たり役は「青砥稿花紅彩画」の弁天小僧菊之助役

そんな五代目尾上菊五郎さんは、1862年3月、数え17歳の時には、音羽屋の新作で市村座で初演された「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(白浪五人男)で弁天小僧菊之助役を演じると(これが生涯の当たり役)、

以降、「直侍」(1881)の片岡直次郎役、「魚屋宗五郎」(1883)の宗五郎役、「四千両」(1885)の富蔵役、「加賀鳶」(1886)の梅吉役と道玄役など、江戸の風俗を写した世話物の立役を次々と演じて人気を博します。

(これらの役は音羽屋にとって大切な役となり、その多くが十五代目市村羽左衛門さんと六代目尾上菊五郎さんに継承されています。

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公演中に倒れて体が不自由となるとその約2年後には他界

しかし、1900年11月、「国姓爺」公演中に倒れると、体が不自由となり、1902年11月には、歌舞伎座「忠臣仮名書講釈」の喜内役と、生涯の当たり役となった「青砥稿花紅彩画」の弁天小僧菊之助役で出演するも、1903年2月18日、58歳で、新富町の自宅で他界され、この公演が最後となっています。

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