19年に及ぶMLB(メジャーリーグ)時代、史上唯一の10年連続200安打以上、日米通算4000本安打、10年連続ゴールドグラブ賞、3回のシルバースラッガー賞ほか、凄まじい記録を打ち立てたイチローさんですが、

メジャー移籍1年目は、アジア人というだけで、地元ファンからもブーイングや心無い言葉を浴びせられ、物まで投げつけられていたといいます。

メジャーリーグ時代のイチロー

「イチローの引退試合は東京ドームのマリナーズ開幕2連戦で行われていた!」からの続き

Sponsored Link

イチローはメジャー移籍1年目は地元ファンからも「日本に帰れ」と言われるほかブーイングを浴びせられていた

イチローさんは、NPB(日本プロ野球)では7年連続首位打者を獲得していたことから、「日本プロ野球史上最高のバットマン」との触れ込みで、2001年にメジャーリーグに移籍しているのですが、

当時、メジャーリーグはパワー全盛の時代で、キャンプでは、

“安打製造機”がメジャーで活躍できるのか、通用するのか

と、日本人野手に対して、懐疑的な見方が多く、(イチローさんの移籍先の)マリナーズファンからも心無い言葉を言われるほか、

敵地オークランドの試合では、アジア選手をグラウンドで見ることに慣れていない観客から、「日本に帰れ」だけでなく、さらに酷い、聞きたくない言葉やブーイングを浴びせられ、25セント硬貨や氷なども投げ込まれ、身の危険を感じたこともあったそうで、

(投げつけられた25セント硬貨が頭に当たったこともあったそうです)

イチローさんは、引退会見の際には、

アメリカのファンの方々、最初は厳しかったですよ。2001年のキャンプなんかは(シアトルのファンに)『日本に帰れ』って、しょっちゅう言われましたよ

と、明かしています。

イチローはメジャー移籍1年目にはマスコミからも屈辱的な質問をされていた

また、イチローさんは、観客だけではなく、マスコミからも屈辱的な質問を浴びせられたことがあったそうで、

イチローさんは、2010年9月23日、トロントで10年連続200安打を達成した日、思うところを聞かれた際、

ひとつ言えるのは・・・

マイク・ハンプトン(当時ロッキーズ)というピッチャーがいましたけど、あのピッチャーと対戦したときに、割と早い段階だったと思いますが、『彼からヒットを打てると思いますか?』という質問が飛んできたんですよね。

まあ、あの質問は一生忘れないです。最初は侮辱から始まりましたから。かなり侮辱されましたからね、(1年目の)スプリングトレーニングでは

と、(怒気さえ含ませながら)一息にまくしたてています。

(マイク・ハンプトン投手はそれなりに知られた好投手でした)

イチローはメジャーリーグ移籍1年目の1ヶ月で早くもファンを熱狂させていた

こうして、最低と言っていいメジャーリーグ移籍1年目を迎えたイチローさんですが、

2001年4月2日の開幕戦、同点で迎えた8回裏無死一塁の場面、イチローさんが一塁側へ転がした犠牲バントが、打球を処理した投手がイチローさんの足の速さに焦って一塁へ悪送球して内野安打になり、それが勝ち越しにつながるとファンは狂喜。

その後も、イチローさんが、

  • 開幕4戦目のテキサス・レンジャーズ戦では、勝ち越し2ランを含む6打数4安打
  • 開幕8戦目のオークランド・アスレチックス戦では、伝説的なレーザービーム送球
  • 開幕14戦目のレンジャーズ戦では、2度目の1試合4安打

などの活躍を続けると、

早々にイチローさんに対する疑惑や懸念は払拭され、マリナーズ戦を中継する「FOXスポーツ」は、4月には、13.6ポイント(当時、1ポイントは1万5000世帯に相当)という記録的な平均視聴率を叩き出したほか、

5月になると、毎試合のようにチケットの完売が続いて「イチロー・マニア」という言葉が新聞の紙面に踊るようになり、

5月18日には、地元紙「シアトル・タイムズ」の1面に、

“Seattle’s TV-watching baseball fans are itchy for Ichiro”(2001/5/18)
(シアトルの野球ファンは、イチローのことが見たくてたまらない)

との見出しの記事が掲載されたのでした。

(“Itchy”とは、「〇〇したくてたまらない」というような意味で、“Ichiro”にかけたもの)

イチローはレーザービーム(完璧な送球)でブーイングを黙らせていた

ちなみに、イチローさんの通訳だったターナー氏は、イチローさんが、開幕8戦目のオークランド・アスレチックス戦で放ち、後に伝説となったレーザービーム送球について、

1アウト1塁から、(酷い言葉を浴びせられるほか25セント硬貨や氷などを投げつけられ)怒りに耐えているイチローの前にライトゴロが飛んで来ると、1塁走者が3塁に向かったのを見た背番号51(イチローさん)は、すぐさま完璧なノーバウンド送球のレーザービームをお見舞いし、周囲の雑音を一瞬にして黙らせました。

と、語っています。

(この時のイチローさんのライトからのノーバウンド送球を、アナウンサーが「レーザービーム」と言って以来、鋭い送球のことを「レーザービーム」と言うようになったそうです)

Sponsored Link

イチローは幼い頃から頻繁に否定されたり笑われたりしていた

そんなイチローさんは、

2011年のキャンプ初日には、

(ドラフト前日に)親戚のおばちゃんに、『こんな世界では絶対お前は無理だ』って言われて、最初ね。そのことはちょっと思い出しますね。

従兄弟の結婚式で会ったんだけど。確率の問題を言ってましたね。やっていける人は少ないって話ですけど

と、語るほか、

2016年6月15日、ピート・ローズさんのメジャー通算安打記録(日米通算4256安打)を更新した際には、

小学生の頃、毎日野球を練習していると、近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるつもりか?』って、いつも笑われていた。悔しい思いをした。

と、明かしているのですが、

僕は子供の頃から人に笑われてきたことを、常に達成してきている自負がある

とも、語っており、

メジャー1年目にして重圧と誹謗中傷をはねのけ、日本人野手の評価を覆したイチローさんの本当の凄さは、信念と負けん気の強さだったのかもしれません。

「イチローのスランプ対処法は対処しないこと!その本当の意味とは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link