「オンシアター自由劇場」の看板女優として活躍し、主演舞台「上海バンスキング」が小劇場では異例のロングランヒットを記録した、吉田日出子(よしだ ひでこ)さんですが、2007年には、病気(高次脳機能障害)が判明していたといいます。
今回は、そんな吉田日出子さんが、高次脳機能障害と診断されるまでの経緯とその後についてご紹介します。
「吉田日出子の夫は?結婚してる?高橋克典や小日向文世や岡林信康と交際していた!」からの続き
吉田日出子はセリフが覚えられないなどの症状から病気(高次脳機能障害)が判明していた
吉田日出子さんは、2014年11月、著書「私の記憶が消えないうちに」を出版しているのですが、その中で、2007年に、主演舞台を降板したことを明かしています。
吉田日出子さんによると、セリフが覚えられなくなり、通い慣れた道にも迷うことがあったそうで、医療機関を受診し、検査を受けたところ、診断の結果、脳の前頭葉に傷が見つかり、「高次脳機能障害」と判明したのだそうです。
吉田日出子が患う病気「高次脳機能障害」とは?
ちなみに、吉田日出子さんが患う「高次脳機能障害」とは、脳出血、くも膜下出血、脳梗塞など、脳血管障害や事故などによる脳の損傷によって引き起こされることの多い、脳障害を言うそうで、
症状としては、
- 日付や人の名前を忘れてしまうなどの記憶障害
- 物事に集中できないなどの注意障害
- 計画が立てられないなどの遂行機能障害
- 感情のコントロールができにくくなる社会的行動障害
- 物事をうまく説明できなかったり、事実と異なることを言ってしまう認知障害
- 脳が疲れやすく、ミスをしたり、イライラする脳疲労
- 自分を客観視することが難しく、自身の障害に気づくことができない、病識の低下
などがあるそうです。
また、「高次脳機能障害」は、中途障害で、外見からは分かりにくい障害であるため、周りの人から十分に理解を得ることが難しく、「やる気がない」「怠けている」「嘘をついている」など誤解されてしまうことがあるそうです。
吉田日出子は高次脳機能障害で闘病中も「上海バンスキング」で舞台に復帰していた
それでも、吉田日出子さんは、2010年には、自身の代表作「上海バンスキング」で復帰すると、稽古場では、セリフや歌詞を忘れることもあったそうですが、共演者にフォローしてもらい、
本番でも、吉田日出子さん扮するまどかの分身役を設定して、プロンプターの声が聞き取れるように特製イヤホンをつけることによって、最後まで演じきったそうです。
また、吉田日出子さんは、もう一度、お客さんの前で歌いたい、舞台に立ちたいという気持ちは変わらず、2012年11月にも、プロジェクト・ニクス公演「上海異人娼館」で客演しています。
吉田日出子は高次機能障害を持つ人を励ますために病を公表していた
ちなみに、吉田日出子さんは、高次機能障害を患っていることについて、
ずっと隠しておこうと思った
と、思ったそうですが、
同じ障害を持つ方に少しでも励みになればとの思いから、自伝的エッセイ「私の記憶が消えないうちに」を出版したそうです。
また、障害と付き合う中で、
記憶障害も注意障害も、遂行機能障害も社会的行動障害も恥ずかしいことではない
と、思うようになったそうで、
障害や認知症を恐れているばかりではつまらないでしょう。障害や認知症のある、なしで境界線を引かずに、ありのままの自分、相手を受け入れてやっていきませんか
と、語っています。
1962年、「俳優養成所」に入所すると、養成所修了後は、「文学座」を経て、1966年には、「劇団 自由劇場」(後に「オンシアター自由劇場」に改称)の旗揚げに参加し、1979年には、「上海バンスキング」で主演を務めブレイク …