映画「いのちの停車場」、テレビドラマ「にじいろカルテ」など、話題の映画やテレビドラマに次々と出演し、主人公を引き立てる名脇役として活躍している、泉谷しげる(いずみや しげる)さんですが、実は、若い頃には、漫画家を目指していたことがあったといいます。

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年齢は?出身は?本名は?

泉谷さんは、1948年5月11日生まれ、
東京都目黒区東山のご出身(青森県青森市生まれ)、

血液型はO型、

本名は、泉谷茂(いずみや しげる)

学歴は、
目黒区立烏森小学校
⇒目黒区立東山中学校
⇒東京都立目黒高等学校中退

趣味は、
料理、映画観賞、パソコン、ゲーム、庭いじり、格闘技観戦 、

特技は、
絵画、ビリヤード、

だそうです。

幼少期は裕福な家庭で何不自由なく育つ

泉谷さんは、大工のお父さんのもと、青森県青森市で、5人兄弟(兄、弟、2人の妹)の次男として誕生すると、家の向かいは牛小屋、家の周りはほとんど畑という大自然の中で、雪が降った日にはお父さんに箱そりを作ってもらって遊ぶなど、のびのびと育ったそうです。

また、その後、泉谷さんが3歳の時には、一家で東京都目黒区東山に引っ越したそうですが、新居は目黒区の高台にあり、高級住宅街の目黒区の中でも一番良いところだったそうで、泉谷さんは、裕福な家庭で、何不自由なく育ったそうです。

3歳の時にポリオウィルスに感染(小児麻痺)し足が不自由に

しかし、泉谷さんは、3歳の時、「ポリオウィルス」に感染し、その後遺症で脚に障害が残り、歩行が困難になってしまったそうで、

(この病気は、人間だけがかかる病気で、中枢神経に感染を起こし、運動麻痺や呼吸麻痺を起こすこともあるそうで、子どもが多くかかるため、小児麻痺とも呼ばれています)

そのせいもあり、子供の頃は体が弱く、内気で、人見知りの激しい性格だったそうです。

(そんな自分自身を変えるために、「暴力行為に近いことをやろう」と考え、破天荒なキャラを作ったそうです)

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少年時代は漫画家を目指していた

そんな泉谷さんは、小学3年生頃から絵を描き始めると、やがて、漫画家の手塚治虫さんに憧れ、漫画家を目指すようになったそうですが、

18歳の時には、漫画雑誌「COM」(手塚治虫さんの「虫プロ商事」)に投稿した「トツゼン児」という9ページの漫画が、1969年2月号で手塚治虫さんから批評を受けたこともあったほか(テーマ100点、ストーリー70点、絵30点だったそうです)、

「いずみやしげる」のペンネームで投稿した16ページの作品「わるい奴ら」が、短編集「ヤングパンチ・2号」および「暗黒の帝王たち」(いずれも「東考社」)に掲載されたこともあったそうで、早くも、漫画家としての才能を発揮したのでした。

ちなみに、泉谷さんは、2010年2月には、漫画家として初のコミック展「泉谷しげるコミック展 マンガは爆発だ!!」を開催するほか、

同年3月には、ニュースをマンガでわかりやすく伝えることを目指した、世界初のニュースサイト「漫画の新聞」で、現代日本の出来事を扱った時事漫画「Monster Hug」(絵や構成はもちろん、セリフも泉谷さんの直筆)を公開するなど、本業のかたわら、漫画を描くお仕事もされています。

「泉谷しげるが若い頃は「春夏秋冬」が大ヒット!」に続く

漫画の新聞より。泉谷さんの直筆マンガ「Monster Hug」。

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