1975年、22歳の時、ロックバンド「シュガー・ベイブ」としてレコードデビューすると、翌年には解散し、1976年には、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューした、山下達郎(やました たつろう)さん。
そんな山下達郎さんは、その後、しばらくはパッとしなかったのですが、1980年、シングル「RIDE ON TIME」が初のヒットとなると、
1983年にリリースしたシングル「クリスマス・イブ」が、1988年、JR東海のクリスマス・キャンペーンに使用されたことがきっかけで、累計売上100万を突破する大ヒットとなりました。
今回は、山下達郎さんの、若い頃(レコードデビュー)から現在までの代表曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。
「山下達郎の生い立ちは?幼少期は?高校時代は天文学者志望も挫折していた!」からの続き
山下達郎は19歳の時にロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成していた
山下達郎さんは、1972年8月、19歳の時に、アマチュアバンドの友人たちと自主制作アルバム「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を自主制作すると、
翌年の1973年春には、このアルバムがきっかけで知り合った、大貫妙子さん、野口明彦さん、村松邦男さん、鰐川己久男さんと共に、四谷の小さな喫茶店でロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成したそうです。
「シュガー・ベイブ」第一期のメンバー。(左から)村松邦男さん、山下達郎さん、大貫妙子さん、野口明彦さん、鰐川己久男さん。
山下達郎は22歳の時に「シュガー・ベイブ」としてシングル「DOWNTOWN」とアルバム「SONGS」でレコードデビューするも1年足らずで解散していた
その後、山下達郎さんは、地道に音楽活動を重ね、ついに、1975年4月、22歳の時、大瀧詠一さん主催の「ナイアガラ・レーベル」から、
- シングル「DOWNTOWN」
- アルバム「SONGS」
と、同時リリースし、レコードデビューするのですが・・・
わずか1年足らずの1976年4月には、早くも解散しています。
ちなみに、「シュガー・ベイブ」を解散した理由は、商業的な成功を収めることができなかったことによる、経済的な問題だったと言われています。(売上2000枚以下だったとも)
山下達郎は23歳の時にアルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビュー
山下達郎さんは、「シュガー・ベイブ」解散後はソロに転身し、自分の現在地を第三者に判断してもらうために渡米したそうで、
同年(1976年)12月25日、23歳の時には、ニューヨークとロサンゼルスで制作したアルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たします。
ただ、売上は思わしくなく、
その後も、
- 1977年には、「SPACY」
- 1978年には、「GO AHEAD!」
と、コンスタントにアルバムを発表するも、売上はパッとしない状態が続いたのでした。
山下達郎が26歳の時には「BOMBER」が関西のディスコを中心に大ヒットしていた
そんな中、山下達郎さんは、歌手としてはあきらめ、作曲家への転身を考え始めていたそうですが、
そんな矢先の1979年、26歳の時、前年に発売していたアルバム「GO AHEAD!」の中の曲「BOMBER」が、関西のディスコを中心に、大ヒットを記録します。
山下達郎は27歳の時に「RIDE ON TIME」が大ヒット
すると、次第に状況が好転し始め、1980年5月、27歳の時には、シングル「RIDE ON TIME」が、50万枚を売上げ、初のトップ10入り。
シングル「RIDE ON TIME」
さらに、同年8月にリリースした同名アルバム「RIDE ON TIME」がチャート1位を記録するなど、ソロデビュー4年目にして、ついにブレイクを果たしたのでした。
山下達郎が36歳の時には「クリスマス・イブ」が100万枚を超える大ヒット
そんな山下達郎さんは、1982年、29歳の時には、自ら設立した「ムーン・レコード」に移籍すると、翌年の1983年6月8日には、「ムーン・レコード」移籍後、初のアルバム「MELODIES」を発表しているのですが、
1983年12月14日、このアルバムの中の曲「クリスマス・イブ」をシングルカットすると、1988年、JR東海のクリスマス・キャンペーンに使用されて知名度が上がり、1989年には、オリコンチャートで1位を記録し、累計売上100万を突破する大ヒットとなったのでした。
その後、この「クリスマス・イブ」は、20年もの間、チャート入りしているのですが、実際、聴いたことがない人はいないのではないかと思われるほど、クリスマスソングとして親しまれていますね♪
「クリスマス・イブ」は山下達郎が竹内まりやの為に書いた曲だった
ちなみに、この「クリスマスイブ」、
実は、もともと、山下達郎さんが竹内まりやさんのために書いた曲だったとか。
ただ、ボツになった為、仕方なく、クリスマスソングに書き換え、自分のアルバムに入れたのだそうです。
山下達郎はKinKi Kids、嵐ほか他のアーティストにも楽曲を多数提供
さておき、山下達郎さんは、
- アン・ルイスさんの、
- 「シャンプー」(1979年)
- 「恋のブギ・ウギ・トレイン」(1979年12月20日)
- 池田典代さんの「DREAM IN THE STREET」(1979年)
- 近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」(1982年6月30日)
- KinKi Kidsの、
- 「硝子の少年」(1997年7月21日)
- 「ジェットコースター・ロマンス」(1998年4月22日)
- 「kissからはじまるミステリー」(1997年)
- 嵐の「復活LOVE」(2016年2月24日)
など、他のアーティストへ楽曲を提供したり、CMタイアップ曲の制作も手がけており、現在では音楽シーンにおいて、欠かせない人物となっています。
ちなみに、山下達郎さんは、妻である竹内まりやさんの全作品のアレンジやプロデュースも手がけており、特に、「元気を出して」「駅」「シングル・アゲイン」などが有名です。
山下達郎のアルバム
それでは、ここで、山下達郎さんの作品(アルバム)をご紹介しましょう。
- 1976年「CIRCUS TOWN」
- 1977年「SPACY」
- 1978年「IT’S A POPPIN’ TIME」
- 1978年「GO AHEAD!」
- 1979年「MOONGLOW」
- 1980年「COME ALONG」
- 1980年「RIDE ON TIME」
- 1980年「ON THE STREET CORNER」※アカペラ・アルバム
- 1982年「FOR YOU」
- 1983年「MELODIES」
- 1984年「BIG WAVE」※サウンドトラック
- 1986年「POCKET MUSIC」
- 1986年「ON THE STREET CORNER 2」※アカペラ・アルバム
- 1988年「僕の中の少年」
- 1991年「ARTISAN」
- 1993年「SEASON’S GREETINGS」※アカペラ+フル・オーケストラ・アルバム
- 1998年「COZY」
- 1999年「ON THE STREET CORNER 3」※アカペラ・アルバム
- 2005年「SONORITE」
- 2011年「Ray Of Hope」
- 2022年「SOFTLY」
と、数多くのアルバムをリリースしています。
山下達郎は都知事選でメディアを批判していた
そんな山下達郎さんですが、以前、”都知事選”で多くの方に検索されていたことがありました。
というのも、山下達郎さんの知人が2016年の東京都知事選に立候補されたそうで、山下達郎さんは、ラジオ番組でそのことに触れたそうですが、
特定の個人に言及することは、放送法で禁じられているとのことで、山下達郎さんが話をした部分は、すべてカットされてしまったそうで、
これに対し、山下達郎さんが、テレビなどのメディアでは、(他の候補者がいるにも関わらず)小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏の、3人の候補者しか取り上げないことをあげ、
でも私みたいな、一市民がですよ、こう・・・ラジオでそうやって言及するのはいけなくてですね、そういう・・・そういうことやってるメディアは、全然それは選挙妨害とかならないんでしょうかね。
すっごい疑問でですね、先週、それを言われた時に。で、今日はだから、ま、それも当たり障りがありますので、特定の候補者の名前言いませんがですね。
死んでも、あの3人には投票しません!僕!それだけは、あのぉ・・言論の自由ですから!
と、珍しく、憤慨したのでした。
そして、最後には、
非常に不愉快、かつ納得行かないアレでございますね。何が放送法だ!というですね。なんかメディアの、そいういう利権の結託というか、そういうのが見え見えでですね、非常に・・・
ほとんど、僕そういう政治の話しませんけど、非常に先週はですね、それで頭にきたんですね。一言、言わせていただきましたがですね(笑)
あぁ、スッキリした!
と、締めくくったのでした(笑)
「山下達郎の妻・竹内まりやとの馴れ初めは?現在の夫婦仲は?子供(娘)は山下えり!」に続く
1976年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たすと、1980年には、6枚目のシングル「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以降、「クリスマスイブ」「さよなら夏の日」「高気圧ガール」など次々と …