1973年、22歳の時、ロックバンド「シュガー・ベイブ」としてレコードデビューすると、その後、「センチメンタル・シティ・ロマンス」での活動を経て、フリーのドラマーとして様々なアーティストのライブサポートやレコーディングに参加するほか、
1998年には、岩田浩史さんとドラムとギターだけのユニット「Brush&Picks」を結成した、野口明彦(のぐち あきひこ)さん。
今回は、そんな野口明彦さんの、若い頃(レコードデビュー)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。
野口明彦のプロフィール
野口明彦さんは、1953年3月6日生まれ、
東京都中野区の出身、
血液型はB型
ちなみに、「野口明彦」は本名です。
野口明彦は19~20歳の時に山下達郎らと共にフォーク・グループ「シュガー・ベイブ」を結成
野口明彦さんは、1972年、19歳の時、ドラマーとして大貫妙子さんとのセッションに参加したそうですが、
セッションを観に来ていた山下達郎さんに誘われ、1973年春には、山下達郎さん、大貫妙子さん、村松邦男さん、鰐川己久男さんと共に四谷の小さな喫茶店でロックバンド「シュガー・ベイブ」を結成したそうです。
「シュガー・ベイブ」第一期のメンバー。(左から)村松邦男さん、大貫妙子さん、鰐川己久男さん、山下達郎さん、野口明彦さん。
野口明彦は22歳の時に「シュガー・ベイブ」としてレコードデビューするも間もなく脱退していた
その後、「シュガー・ベイブ」は地道に音楽活動を重ね、1975年4月(野口明彦さん22歳)には、ついに、
- シングル「DOWNTOWN」
- アルバム「SONGS」
と、同時リリースし、レコードデビューするのですが・・・
野口明彦さんは、この年(1975年)、「シュガー・ベイブ」を脱退しています。
というのも、ある時、練習時、山下達郎さんが野口明彦さんに、姿勢が悪いから音が出ないのだと怒り、後ろから姿勢を正し、そのままの状態でドラムを叩かせたことがあったようで、
野口明彦さんは、そんな山下達郎さんの厳しさについていけなかったのかもしれません。
野口明彦は22~23歳の時に「センチメンタル・シティ・ロマンス」に移籍していた
「シュガー・ベイブ」脱退後、野口明彦さんは、「センチメンタル・シティ・ロマンス」に移籍しているのですが、こちらも、ほどなくして脱退すると、1980年には、フリーランスのミュージシャンとして活動するようになったそうで、
竹内まりやさん、加藤登紀子さん、鈴木幸子さんなどのプロジェクトにゲストミュージシャンとして参加するなど、様々なアーティストのライブサポートやレコーディングを務めています。
そして、1993年には、フリーの活動と並行して、「センチメンタル・シティ・ロマンス」にサポートメンバーとして復帰しています。
野口明彦は45歳の時に岩田浩史とユニット「Brush&Picks」を結成
その後、野口明彦さんは、1998年には、岩田浩史さんとドラムとギターだけのユニット「Brush&Picks」を結成すると、
- 2004年には、「南青山MANDALA」で開催されたライブの模様を収録したDVD「VOL.0」
- 2013年には、アルバム「BRUSH&PICKS Director’s Edition「奇跡の人」」
をリリースしています。
ただ、岩田浩史さんが2013年に他界されており、現在、「Brush&Picks」としての活動は継続していないようです。
野口明彦の現在は?
そんな野口明彦さんは、現在もミュージシャンとして活動しており、2025年2月21日には、ライブハウス「南青山MANDALA」で、「野口明彦 唄うかい!」と題したライブを開催しています。
(野口明彦さんはドラムとボーカルを担当)
ちなみに、野口明彦さんは、軽やかで正確なドラミングに定評があるそうです。
東京クラシック ライブハウス「赤坂カーサクラシカ」で演奏する野口明彦さん。