1978年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)でデビューすると、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、一躍、社会現象を巻き起こすほどのブームを巻き起こした、細野晴臣(ほその はるおみ)さん。
そんな細野晴臣さんは、幼い頃から、音楽が好きだった母方の親戚の影響で、音楽に恵まれた環境で育ち、小学6年生のクリスマスプレゼントにアコースティックギターを買ってもらうと、早くも中学時代には友人たちとエレキバンド「ブレッツメン」を結成し活動していたといいます。
今回は、細野晴臣さんの生い立ち(幼少期から大学時代まで)をご紹介します。
細野晴臣のプロフィール
細野晴臣さんは、1947年7月9日生まれ、
東京都港区芝白金台町(現・港区白金台)の出身、
身長170センチ、
血液型はA型、
学歴は、
東京都港区立白金小学校
⇒東京都港区立青山中学校
⇒立教高校(現・立教新座高校)
⇒立教大学社会学部産業関係学科卒業
ちなみに、「細野晴臣」は本名で、
父方の祖父は、鉄道官僚で、タイタニック号処女航海唯一の日本人乗客であった細野正文さん、
母方の祖父は、ピアノ調律師の中谷孝男さん、
だそうです。
細野晴臣が幼い頃は音楽に恵まれた環境で育っていた
細野晴臣さんは、会社員だったお父さんの日出臣さんと専業主婦のお母さんの玲子さんのもと、2人きょうだい(姉1人)の弟として誕生すると、
母方の家系には音楽が好きな人が多く(おじいさんはクラシック、お母さんはハリウッドの映画音楽、叔父さんはジャズやポップスを愛好)、おじいさんの家にはたくさんのSPレコードがあったそうで、
細野晴臣さんは、しばしば、お母さんや叔父さんにねだってレコードをかけてもらうなど、音楽に恵まれた環境で育ったそうです。
細野晴臣が幼い頃はパラマウントで働く叔母の影響で映画音楽に親しんでいた
また、叔母さん(母の妹)は、戦前からパラマウント映画の日本支社で秘書の仕事をしており、ハリウッドの映画音楽をはじめ、欧米のSPレコードをたくさん所有していたことから、
細野晴臣さんは、道を隔てた向かいの家に住む叔母さん夫婦の家に足繁く通い、レコードをかけてもらっていたそうで、
パラマウントで働く叔母さんや映画が好きなお母さんの影響で、幼い頃から映画に親しみ、映画音楽をたくさん聴いて育ったそうです。
細野晴臣の幼少期~少年期はラジオに夢中になっていた
また、細野晴臣さんは、幼少期から少年期にかけて、ラジオにも夢中になったそうで、寄席中継、三木鶏郎さんの冗談音楽を聴くことが好きだったそうですが、
小学5年生の時には、深夜放送「ポート・ジョッキー」、アメリカの人気曲を紹介するヒットチャート番組などを、好んで聴くようになったそうです。
幼少時の細野晴臣さん。
細野晴臣は中学生の時からにエレキバンド「ブレッツメン」を結成していた
そんな細野晴臣さんは、小学校6年生のクリスマスプレゼントにアコースティックギターを買ってもらい、ギターを始めると、
中学校時代には、日本中でエレキブームを巻き起こしていたインストゥルメンタルバンド「ザ・ベンチャーズ」の影響を受け、1961年、14歳の時には、友人とエレキバンド「ブレッツメン」を組んで活動したそうです。
(細野晴臣さんは、ギターを担当していたそうですが、バンドのメンバーがギターをやりたがったことから、ベースも始めたそうです)
細野晴臣は高校時代にはフォークブループ「パンプキンズ・フォー」を結成
その後、細野晴臣さんは、高校進学後は、音楽部に所属すると、クラスメイトを誘い、「パンプキンズ・フォー」という4人組のフォークグループを組んで、活動したそうで、
細野晴臣さんは、
文化祭に出て賞をもらいました。そのときが初舞台だったのですが、MCで笑いをとったのも初めてでしたね
と、語っています。
また、この頃、ボブ・ディランにも影響を受けたそうで、特に、高校3年生の時、ボブ・ディランのアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」を聴き、衝撃を受けたそうです。
高校時代の細野晴臣さん。
細野晴臣が大学生の時は大学の音楽サークル「PEEP」に参加
そして、高校卒業後は、立教大学に進学すると、大学の音楽サークル「PEEP」に参加し、精力的にバンド活動を展開するなど、音楽三昧の日々を送ったそうですが、
この頃、バンド活動を通じて、後に「はっぴいえんど」を組む大瀧詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さん、演奏・プロデュース集団「キャラメル・ママ」のメンバーなど、学内外の人々とも交流を深めたのだそうです。
「【画像】細野晴臣の若い頃は?デビューから「はっぴいえんど」~ソロ時代までの代表曲や経歴を時系列まとめ!」に続く
大学時代の細野晴臣さん。
1969年9月、大学4年生の時、ロックバンド「エイプリル・フール」のベーシストとしてデビューすると、解散後の1970年3月には、「はっぴいえんど」を結成し、ロックのサウンドに日本語の歌詞を融合させた〝日本語ロック〞を確立 …