1969年、ロックバンド「エイプリル・フール」のベーシストとしてデビューを果たすと、以来、50年以上に渡り、音楽活動を続けている、細野晴臣(ほその はるおみ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、そんな細野晴臣さんの、妻、子供(娘)、孫、シンガーソングライターのコシミハル(越美晴)さんとの噂について調べてみました。
「細野晴臣の祖父はタイタニック号から生還するもバッシングされ続けていた!」からの続き
細野晴臣の妻は?
細野晴臣さんは、1971年、24歳の時に結婚し、翌年の1972年3月5日に結婚式も挙げているようですが、
細野晴臣さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
また、奥さんについても、情報がないため、芸能関係者ではなく、一般人だと思われます。
ただ、細野晴臣さんが1975年に発売した2枚目のソロアルバム「トロピカル・ダンディー」の裏ジャケットに奥さんと長女の写真が掲載されています。
細野晴臣の子供は娘が1人
細野晴臣さんは、奥さんとの間に、娘さんが1人おり、アヤさんと言うそうです。
また、アヤさんも、奥さん同様、情報がないため、芸能関係者ではなく、一般人だと思われますが、
ティン・パン・アレーのアルバム「キャラメル・ママ」に収録されている、細野晴臣さんの楽曲「アヤのバラード」は、アヤさんに捧げた曲といいます。
ちなみに、「アヤのバラード」はゆったりしたテンポのどこかエキゾチックな雰囲気のする楽曲だそうです。
細野晴臣の孫はYUTA(ユウタ)
また、アヤさんは結婚しており、息子のYUTA(ユウタ)さんを出産しているのですが、
YUTAさんは、音楽グループ「シャッポ」「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」などで活動しており、2019年、「YMO」結成40周年コンサートでは、ステージでベースを披露しています。
細野晴臣さんの孫のYUTAさん。
また、2024年1月17日には、「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」のファーストアルバム「tradition」を発売しています。
ちなみに、YUTAさんは、小学4年生の時に、同級生と「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」を結成するも、全員がギターだったことから、小学5年生の時に、一度、解散していたといいます。
そして、その後、大学も別々だったことから、一時期、疎遠になっていたそうですが、コロナ禍をきっかけに再び集まるようになり、再結成に至ったのだそうです。
(メンバーのDaidoさんが中南米音楽に傾倒して、キューバのハバナ大学に留学し、現地でコンガを学んで、リズムパターン「cho co pa co cho co quin quin」を習得したそうで、「CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN」もキューバ音楽が反映された音楽性となっているそうです)
細野晴臣とコシミハルの関係は?
かねてより、細野晴臣さんの奥さんは、シンガーソングライターのコシミハル(越美晴)さんでは?との噂があるようです。
というのも、細野晴臣さんは、1983年、コシミハルさんの作成したデモテープを聴いて衝撃を受け、以降、コシミハルさんのプロデュースを務めているほか、
コシミハルさんは、細野晴臣さんが立ち上げたレーベル「ノン・スタンダード(NON-STANDARD)」⇒「daisyworld discs」に移籍するなど、細野晴臣さんがコシミハルさんに目をかけていたからなのですが、
そんな細野晴臣さんとコシミハルさんの間に何かただならぬ関係があるに違いないと、噂が立ったのだそうです。
ただ、細野晴臣さんは、1971年に結婚しており、「トロピカル・ダンディー」の裏ジャケットに奥さんの写真があるのに対し、コシミハルさんがデビューしたのは1978年ということで、細野晴臣さんの奥さんがコシミハルさんという可能性はなさそうです。
ちなみに、コシミハルさんも、細野晴臣さんと出会い、このことがきっかけとなり、それまでのアイドル的なスタンス(軽快なピアノ弾き語りのニューミュージック路線)から、自力で道を切り開き、フレンチ・ポップスを思わせる耽美的なテクノサウンドという自身の音楽を確立していったそうで、
細野晴臣さんが、自身の音楽性を色濃く受け継いだコシミハルさんをかわいがっていることは確かなようです。
1978年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)でデビューすると、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、一躍、社会現象を巻き起こすほどのブームを巻き起こした、細野晴臣(ほその はるおみ)さん。 そんな …