1969年、ロック・バンド「ヴァレンタイン・ブルー」でデビューすると、その後、「はっぴいえんど」に改名し、1970年には、ファーストアルバム「はっぴいえんど」、1971年には、2枚目のアルバム「風街ろまん」を発表し、繊細かつ大胆なギター・ワークで注目を集めた、鈴木茂(すずき しげる)さん。
そんな鈴木茂さんは、小学生の頃に、音楽が好きだったお母さんとお兄さんの影響を受けて音楽を聴くようになると、中学生の時にはギターを始め、「ベンチャーズ」のコピーバンド「C. I. A」を結成したといいます。
そして、高校進学後、鈴木茂さんのギターの腕を聞きつけた柳田ヒロさん(後の「エイプリル・フール」)に誘われ、立教大学の音楽イベント「PEEP」のオーディションに参加すると、そこで細野晴臣さんさんらと知り合ったといいます。
今回は、鈴木茂さんの生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。
鈴木茂のプロフィール
鈴木茂さんは、1951年12月20日生まれ、
東京都世田谷区の出身、
血液型はO型、
学歴は、
東京都立玉川高等学校卒業
ちなみに、「鈴木茂」は本名です。
鈴木茂は小学生の時から音楽好きだった母親と兄の影響でレコードを聴くようになっていた
鈴木茂さんは自動車修理工場を営むお父さんのもと誕生すると、お母さんと1番上のお兄さんが音楽が好きだったことから、その影響で、小学生の時から音楽を聴くようになったそうですが、ラジオ放送よりも、家にあるレコードを聴くことの方が好きだったそうで、
鈴木茂さんは、
最初は自分がどういう音楽が好きなのか、よく分かっていなかったと思います。初めて「ああ、この曲は好きだな」と思えたのが、ニール・セダカの「恋の片道切符」。
それから、だんだん目覚めるようになってきて、心の中のレコード棚ができてきたというか、「いい曲」の基準が自分の中でそれなりに生まれてきました。
と、語っています。
ちなみに、お母さんは、島倉千代子さんや美空ひばりさん、お兄さんは、ニール・セダカやエルヴィス・プレスリーが好きだったそうです。
鈴木茂は中学時代にエレキギターを始めていた
そんな鈴木茂さんは、「ベンチャーズ」を聴いたことで、エレキギターに興味を持つようになり、1番上のお兄さんがギターを買ってバンドを始めたことから、こっそり、そのギターを借りて弾き始めると、
練習しているうちにだんだんうまくなっていったそうで、1年ほどで、自分でも、「ああ、だいぶ弾けるようになったな」と思えるほど上達したそうです。
鈴木茂は15歳の時に柳田ヒロに誘われて立教大学の音楽イベント「PEEP」のオーディションに参加していた
そして、中学2年生の時には、「ベンチャーズ」のコピーバンド「C. I. A」を結成すると、高校進学後も、「C. I. A」の活動を続けていたそうで、
そんな中、鈴木茂さんのギターの腕を聞きつけた、立正高校に通う柳田ヒロさんに誘われ、1967年、15歳の時、柳田ヒロさんの兄・柳田優さんが主催していた立教大学の音楽イベント「PEEP」のオーディションに参加すると、
そこで、細野晴臣さん(立教大学)、林立夫さん、小原礼さん(共に青山学院高等学校)らと知り合ったそうです。
「C. I. A」で活動する中学生時代の鈴木茂さん。
(鈴木茂さんの1つ上のお兄さんの友達が立正高校におり、柳田ヒロさんも立正高校だったことから、「世田谷の奥沢にギターのうまいやつがいる」(鈴木茂さんのこと)という噂が伝わり、柳田ヒロさんが訪ねて来たのだそうです)
鈴木茂は16歳の時にロックバンド「スカイ」を結成
そんな鈴木茂さんは、1968年、16歳の時には、小原礼さん、林立夫さんと、ロックバンド「スカイ」を結成すると、イングランド系の「ヤードバーズ」や「クリーム」などのコピーを中心に演奏したそうですが、
積極的にライブ活動をしていた訳ではなく、時々、練習して、週末に大学生のパーティーなどで演奏する程度だったそうです。
「【画像】鈴木茂のデビューから「はっぴいえんど」までの代表曲や経歴を時系列まとめ!」に続く
1969年、細野晴臣さんに誘われて「バレンタイン・ブルー」(後の「はっぴいえんど」)に加入すると、その後、「花いちもんめ」「氷雨月のスケッチ」「明日あたりはきっと春」「さよなら通り3番地」などの名曲を作曲した、鈴木茂(す …