1969年9月、「ヴァレンタイン・ブルー」(後の「はっぴいえんど」)を結成すると、1970年代は、「はっぴいえんど」のドラマーとして活躍するほか、多くの楽曲の作詞を手掛けた、松本隆(まつもと たかし)さん。

そんな松本隆さんは、小学1年生の時に交通事故に遭い2ヶ月間入院すると、その間、叔母さんが買ってくれたSF小説「地底王国」を読んだことがきっかけで、本を読むことが好きになると、以降、食事の時間も忘れて読み耽るほど、本を乱読したといいます。

一方、音楽が好きだった母方の祖父の影響で、映画音楽やクラシック音楽も好きになったそうですが、中学2年生の時、初めて「ビートルズ」の「抱きしめたい」を聴くと衝撃を受け、リヴァプールサウンドに夢中になったそうで、自分も音楽をやりたいと思うようになったといいます。

今回は、松本隆さんの生い立ち(幼少期から中学生時代まで)をご紹介します。

松本隆

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松本隆のプロフィール

松本隆さんは、1949年7月16日生まれ、
東京都港区青山の出身、

身長178センチ
体重64キロ

学歴は、
港区立青南小学校
⇒慶應義塾中等部
⇒慶應義塾高等学校
⇒慶應義塾大学商学部中退

ちなみに、「松本隆」は本名で、

弟は、レコーディングエンジニアの松本裕さんで、斉藤由貴さんのシングル「卒業」を担当したそうです。

松本隆は小学1年生の時に事故に遭い入院中にSF小説「地底王国」を読んだことがきっかけで読書が好きになっていた

松本隆さんは、元南九州財務局長、仙台銀行相談役だったお父さんの松本亘司(のぶじ)さんと、伊香保温泉の石段街にある明治時代から続く写真館の娘だったお母さんの知子さんのもと、3人きょうだい(1歳年下の弟と6歳年下の妹)の長男として誕生したそうですが、

小学1年生の時、買ってもらったばかりの自転車に乗っていたところ、オートバイにはねられ、生死をさまよう大ケガを負ってしまったそうです。

そして、2ヶ月もの入院生活を余儀なくされたそうですが、徐々に回復すると、退屈だろうと、叔母さんがSF小説「地底王国」という本を買ってくれたそうで、このことがきっかけとなり、読書が好きになったそうです。

(知らない漢字ばかりだったそうですが、ルビを頼りに読み進めたそうです)

松本隆は小学生の時には本を乱読していた

そんな松本隆さんは、その後も、江戸川乱歩⇒エドガー・アラン・ポー⇒モーリス・ルブラン(アルセーヌ・ルパン)⇒コナン・ドイルなどの推理小説を読み、

さらには、お父さんの本棚にあった、ボードレールの詩集「悪の華」まで、(意味は分からなかったものの)手当たり次第に乱読したそうです。

(これを見かねたお父さんには、それぞれ全50巻以上あった少年少女用の日本文学全集と世界文学全集を買ってもらい、松本隆さんは、食事の時間も忘れて読みふけり、全て読みきったそうです)

松本隆は小学生の時には祖父の影響で映画音楽やクラシックを聴くようになっていた

その一方で、松本隆さんは、小学生の頃、音楽が好きだった母方の祖父の影響で、音楽も好きになっていたそうで、

祖父の家には、ラッパのついた蓄音機があったことから、よく映画音楽やクラシックも聴いたそうです。

(松本隆さんの祖父は、伊香保で明治30年代から三代続く写真館を営む町の有力者で、群馬県で2番目にクルマの免許を取得するほか、初孫の松本隆さんには、ひらがなより先にローマ字を教えるなど、とてもハイカラな人だったそうです)

松本隆は小学5年生の時にステレオで西部劇映画「アラモ」「荒野の決闘」などの主題曲を聴いていた

また、小学5年生の時には、家にステレオが置かれたそうですが、両親ともに音楽には興味がなかったことから、家にはレコードがなかったそうで、

(お父さんの職場に電気工作マニアがおり、その作品を譲り受けたそうです)

松本隆さんは、その頃、西部劇映画「アラモ」「荒野の決闘」に夢中だったこともあり、主題曲のソノシート(レコード)を買ってもらって聴くようになったそうです。

(松本隆さんは、漫画を読むことも好きで、漫画を描くことも得意だったそうです)


松本隆は中学時代には図書館の本を片っ端から読み漁っていた

そして、松本隆さんは、中学時代には、ランボー、ボードレール、ポー、コクトー、ジャン・コクトー、ラディゲなど、図書館の本を片っ端から、乱読、斜め読みし、さらに、自分でも小説や詩を書くようになったそうです。

松本隆は中学2年生の時に「ビートルズ」の「抱きしめたい」を聴いて衝撃を受けていた

そんな中、松本隆さんは、身長が高かったことから、勧誘されてバスケットボール部に入部すると、練習に明け暮れる毎日を送っていたそうですが、

中学2年生の終わり頃、クラスメイトが「ビートルズ」のレコード「抱きしめたい」を持って来て、ビートルズの存在をみんなに話していると、英語の教師が、授業で使うポータブル・プレイヤーで、「抱きしめたい」をかけてくれたそうで、

その瞬間、松本隆さんは衝撃を受け、この時から、松本隆さんの聴く音楽は、すべて「ビートルズ」などイギリスのロックに代わったそうで、

エルヴィス・プレスリー、マーラー、ドビュッシーなど、これまで聴いていた音楽はもちろん、文学やバスケットボールも一瞬で吹き飛んでしまうほどの衝撃を受けたのだそうです。

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松本隆は中学3年生の時にバンド「バーバリアンズ」を結成するも自然消滅していた

そんな松本隆さんは、自分でも音楽をやりたいと思うようになったそうですが、どのように音楽を始めていいのかわからなかったそうで、

中学3年生の時、修学旅行に行った際、意気投合した仲間5人でバンド「バーバリアンズ」を結成したそうです。

ちなみに、この「バーバリアンズ」では、ほかのみんながやっていた「ビートルズ」を真似るスタイルはやめ、(かっこ良かったからという理由で)同じリヴァプール・サウンドのデイヴ・クラーク・ファイヴを真似したそうで、

「ファントマのうた」というオリジナル曲を作り、松本隆さんが詞を書いたそうですが、この「バーバリアンズ」は練習をしただけで自然消滅してしまったそうです。

「松本隆の細野晴臣との出会いは?デビューからバーンズ時代までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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