「はっぴいえんど」解散後は、ロックバンド「キャラメル・ママ(後にティン・パン・アレーと改称)」を結成すると、主にスタジオミュージシャンとして活動するかたわらソロ活動も開始し、1975年にリリースしたデビューアルバム「バンド・ワゴン」が高い評価を受けた、鈴木茂(すずき しげる)さん。
今回は、そんな鈴木茂さんの、若い頃(「ティン・パン・アレー」時代)からの代表曲(歌)や経歴を時系列でまとめてみました。
「【画像】鈴木茂のデビューから「はっぴいえんど」までの代表曲や経歴を時系列まとめ!」からの続き
鈴木茂は22歳の時にロックバンド「キャラメル・ママ」(後に「ティン・パン・アレー」)を結成していた
1969年、細野晴臣さんに誘われ、「バレンタイン・ブルー」(後に「はっぴいえんど」)に入って活動していた鈴木茂さんは、1972年12月31日に「はっぴいえんど」が解散すると、
1973年には、(他のメンバーが個々の志向を強めていく中)ロックバンドに自身のアイデンティティーを求め、細野晴臣さん、松任谷正隆さん、佐藤博さん、林立夫さんと共に「キャラメル・ママ」を結成します。
鈴木茂が26歳の頃には「ティン・パン・アレー(キャラメル・ママ)」が自然消滅
そして、1974年には、「キャラメル・ママ」は「ティン・パン・アレー」と改名すると、
- 1975年には、「キャラメル・ママ」
- 1977年には、「TIN PAN ALLEY 2」
と、2枚のアルバムをリリースするのですが・・・
1977年(鈴木茂さん26歳)頃には、自然消滅となってしまったのだそうです。
「ティン・パン・アレー」(左より)松任谷正隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん。
鈴木茂は「ティン・パン・アレー」の活動内容に途中から不満を抱いていた
というのも、「キャラメル・ママ」は、細野晴臣さんがファースト・ソロアルバム「HOSONO HOUSE」をリリースするにあたり、レコーディングを行ったそうですが、以降、そのまま、南正人さん、吉田美奈子さん、南佳孝さん、荒井由実さんのレコーディングをサポートするようになり、
そのうち、細野晴臣さん主導でセッション・ユニット&サウンド・ラボラトリー志向を強めていき、しかも、細野晴臣さんは、1974年7月にバンド名を「キャラメル・ママ」から「ティン・パン・アレー」へと変更し、もともとの発案者だった鈴木茂さんのバンド構想はここで消滅してしまったそうで、
「ティン・パン・アレー」は、「ロックバンド」としての活動よりも、荒井由実さん、雪村いづみさん、いしだあゆみさんなど、他のアーティストの演奏やプロデュースをする、”音楽プロデュース・チーム”としての活動が中心となってしまったのだそうです。
ちなみに、鈴木茂さんは、著書「はっぴいえんど伝説」で、
(キャラメル・ママ結成時)その頃、僕は、もう人のバックやるのイヤだったんですよ。だから、まぁ、お金の問題はあったけれど、できれば自分のバンドだけでやっていきたかった。
だから、キャラメル・ママとしてもバンド活動をしたかったんですよね。ちょうどいちばんノッてきたときにはっぴいえんどが解散しちゃったってこともあったし。
ところが、細野さんが、僕もソロ・アルバム作る、とか言い出して、まずそのバックをやったあたりからグシャグシャになりはじめた。林(立夫さん)と細野さんが、なんか人のバックやるって言い出したんですよ。
僕はあくまでもバンドやりたいんだ、と言い張ったのね。音も見えはじめてきたし。だけど、ユーミンとか南正人とか、なんだかいろんなのやりはじめて……。“こんなの、やらなくてもいいじゃないか。やめろ、やめろ”とか、最初は言ってたんですよ、僕。
そんなこんなで、うまくいかなくなっちゃった時期もあったんだよね。それがとにかく何年か続きましたね。今から見れば、あの頃やってたことも、それなりにね、結果としては面白かったと思うけど。でも、僕は細野さんが言ってたようなマッスル・ショールズとかにも、あんまり興味なかったしね
と、語っています。
鈴木茂は23歳の時にソロ・ファーストアルバム「BAND WAGON」をリリース
そんな中、鈴木茂さんは、「ティン・パン・アレー」在籍中から、ソロとしての活動も開始し、1975年3月25日(鈴木茂さん23歳)には、ソロ・ファーストアルバム「BAND WAGON」をリリースしているのですが、
「はっぴいえんど」「キャラメル・ママ」の活動で得た様々なエッセンスを取り入れた、この「BAND WAGON」は、現在も”永遠の名盤”として高く評価されています。
(鈴木茂さんは、1974年秋に単身渡米すると、「HAPPY END」のレコーディング時に知り合ったスタッフやミュージシャンらとともに、10月28日から約1ヶ月かけて、「BAND WAGON」を制作したそうです)
鈴木茂は23歳の時にロックバンド「ハックルバック」を結成するもまもなく解散していた
また、鈴木茂さんは、1975年には、ロックバンド「鈴木茂&ハックルバック」を結成すると、同年2月11日には、目黒区民センターでのライブでデビューし、
その後は、全国ツアーなども行い、精力的に活動していたのですが、同年11月16日、新宿厚生年金会館でのコンサートをもって、解散しています。
「鈴木茂&ハックルバック」
ちなみに、1976年には、アルバム「幻のハックルバック」をリリースしています。
鈴木茂は23歳の時からアレンジャー、スタジオ・ミュージシャンとして活躍
そして、この頃には、鈴木茂さんもアレンジ志向が強くなっていたそうで、その後は、アレンジャーやスタジオ・ミュージシャンとして、数多くのセッション活動を重ねると、
2006年3月時点で、アルバム参加枚数517枚、シングル参加枚数71枚、合計588枚という莫大な数のレコーディングに参加し、数々のレコードに名演奏を残しています。
鈴木茂が24歳~47歳の時にはソロアルバム「LAGOON」「Caution!」「TELESCOPE」「COSMOS’51」「WHITE HEAT」をリリース
また、鈴木茂さんは、ソロとしても、
- 1976年12月5日(24歳)には、「LAGOON」
- 1978年1月25日(26歳)には、「Caution!」
- 1978年11月25日(26歳)には、「TELESCOPE」
- 1979年9月5日(27歳)には、「COSMOS’51」
- 1979年2月25日(27歳)には、「WHITE HEAT」
と、アルバムをリリースしています。
鈴木茂が49歳~55歳の時には「ティン・パン・アレー」を再結成するほか、「鈴木茂BAND」を結成し、ソロアルバム「LAGOON and SUMMER BREEZE」もリリース
その後、鈴木茂さんは、2000年、49歳の時には、細野晴臣さん、林立夫さんと、「ティン・パン・アレー」を再結成すると、アルバム「Tin Pan」を発表するほか、2003年、52歳の時には、再び自身のバンド「鈴木茂BAND」を結成しています。
また、2006年、55歳の時には、ソロアルバム「LAGOON and SUMMER BREEZE」をリリースしています。
鈴木茂の現在(70代)は?
そんな鈴木茂さんは、ソロライブを中心に活動するほか、2021年、70歳の時には、小原礼さん、林立夫さん、松任谷正隆さんの4名で「SKYE」を結成すると、ソロ活動と並行し、精力的に活動しています。
「鈴木茂(ギタリスト)は大麻取締法違反で逮捕されていた!」に続く
「SKYE」(左から)鈴木茂さん、小原礼さん、林立夫さん、松任谷正隆さん。
2003年には、自身のバンド「鈴木茂BAND」を結成するほか、2006年には、ソロアルバム「LAGOON and SUMMER BREEZE」をリリースするなど、バンドとしてもソロとしても精力的に活動していた、鈴木茂(す …