1976年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たすと、1980年には、6枚目のシングル「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以降、「クリスマスイブ」「さよなら夏の日」「高気圧ガール」など次々とヒット曲を連発した、山下達郎(やました たつろう)さん。

そんな山下達郎さんは、プライベートでは、歌手の竹内まりやさんと結婚しています。

今回は、山下達郎さんの、妻・竹内まりやさんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供(娘1人)についてご紹介します。

山下達郎と竹内まりや

「山下達郎の若い頃は?クリスマスイブほか代表曲やアルバムを時系列まとめ!」からの続き

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山下達郎と竹内まりやの馴れ初めは?

山下達郎さんは、1982年4月6日、歌手の竹内まりやさんと結婚しています。

山下達郎さんは、竹内まりやさんとは、山下達郎さんが所属していたレコード会社と竹内まりやさんが契約することになったことがきっかけで知り合ったそうですが、お互い、第一印象は最悪だったといいます。

というのも、山下達郎さんのところにデビュー前の竹内まりやさんが挨拶に来た際、竹内まりやさんはサイン帳を持って来て、サインを頼んできたそうですが、

山下達郎さんは、そのような、プロ意識の低い、アマチュアリズムが嫌いだったそうで、

これからデビューするような立場の人間が、同業者にサイン頼んだりしちゃいけない!

と、たしなめ、サインしなかったといいます。

一方、竹内まりやさんも、山下達郎さんのことを、

ヤなヤツ~!

と、思ったそうです。

山下達郎の仕事の向き合い方に竹内まりやが惹かれていた

そんな山下達郎さんと竹内まりやさんですが、個人的な印象は最悪ながら、音楽的な付き合いは別だったそうで、

山下達郎さんは、竹内まりやさんのファーストアルバム用に「夏の恋人」という曲を提供するなど、音楽面では協力していたそうです。

そんな中、山下達郎さんの実家に、竹内まりやさんから電話がかかってきて、アン・ルイスさんのために「リンダ」という曲を書いたものの、そのレコーディングがどうも思うようにいかないから助けてほしいと言われたそうで、

(当時、山下達郎さんは、練馬区の実家に住んでいたそうですが、まだ携帯電話がない時代だったことから、実家に電話がかかってきたそうで、ツアーで留守がちの中、たまたまその時は家にいたのだそうです)

山下達郎さんは、すぐにスタジオに行き、朝の2時~3時頃までかかって、一人でコーラスをやったそうですが、このことがきっかけとなり、竹内まりやさんに好意を持たれるようになったそうで、

山下達郎さんは、そのことについて、

あちらに(何かが)起きた(笑)。

よもやあの人と結婚することになるとは、最初夢にも思いませんでしたけどね。だから、なんでもそうなんですよ。人間の縁なんてものは不思議です

と、語っています。

竹内まりやと山下達郎
若かりし頃の山下達郎さんと竹内まりやさん。

山下達郎は竹内まりやの素朴なところに惹かれていた

ちなみに、山下達郎さんは東京・池袋育ちなのですが、竹内まりやさんはというと、島根県出雲市大社町の出身で、地元の老舗旅館の四代目で地元の町長を長年務めるお父さんのもと、お嬢様として育てられるなど、育った家庭環境がまるで違ううえ、

山下達郎さんは、女性に対するトラウマが強く、そう簡単には人に心を許さなかったそうですが、

竹内まりやさんは、そんな山下達郎さんの心のバリアを楽々と突き抜けて来たそうで、

山下達郎さんは、

一緒になってみたら、むしろ楽でした。東京というメガロポリスが生み出す女性というのは、自我が強い。

東京は“見栄”の都市で、東京生まれ東京育ちの人間は、とかく知らないことを知らないと言えないんです。知ってるふりを装って、家に帰ってから辞書を引くとか(笑)。まあ、その知ったかぶりがお互いの切磋琢磨を生むという面もあるんだけど。

うちの奥さんには、とにかくそういう見栄が全然なかった。知らないことを“知らない”と普通に言えるんです。それまでの人生、東京の人としか付き合ってなかったから、“知らない”と素直に口に出せる女性相手だと、こんなに楽になるものかと(笑)。一気にバリアが下がりました。

それはやっぱり東京の人じゃないから。田舎の人ならではの素朴さ。繰り返しになりますけど、疲れないんです

と、語っています。

竹内まりやと山下達郎
山下達郎さんと竹内まりやさん。

山下達郎は竹内まりやと結婚後は家族としても仕事仲間としても完璧なパートナーとなっていた

そして、結婚後、山下達郎さんは、竹内まりやさんの全作品のアレンジやプロデュースを手掛けるなど、全面的に音楽活動をサポートしているのですが、

そんな山下達郎さんのバックアップを受け、竹内まりやさんは、子育て中に、「駅」「シングル・アゲイン」「告白」など次々と名曲を生み出しており、お互い、家族としても仕事仲間としても、完璧なパートナーとなったのだそうです。

ちなみに、竹内まりやさんは1979年、3枚目のシングル「SEPTEMBER」で「第21回日本レコード大賞」新人賞を受賞し、1980年には、「不思議なピーチパイ」が累計売上40万枚を超えるヒットを記録するなど、瞬く間にスターダムに駆け上っているのですが、

結婚後は、あっさりと家庭に入り、主婦業と子育て中心の生活を送っていたそうで、自らを、”シンガー・ソング・専業主婦”と呼んでいたといいます。

山下達郎と妻・竹内まりやの現在の夫婦仲は?

ところで、現在の山下達郎さんと竹内まりやさんの夫婦仲ですが、結婚38年目を迎えた2020年には、記念日などは一緒に過ごしつつも、それぞれが一人の時間(飲みに出かけたり、趣味など)を過ごすことが増え、お互い、干渉しなくなっていっているほか、

某音楽関係者は、

2か月ほど前ですが、山下さんが“卒婚ってどう思う?”と聞いていたんです。竹内さんとのことかははかりかねましたが、聞かれた方はどきっとした様子でした

と、山下達郎さんが”卒婚”に興味を示しているとも語っており、

ここ数年、山下達郎さんと竹内まりやさんは独立した関係であろうとしているとのことでした。

※「卒婚」とは、離婚届は提出せずパートナーの形は保ちながらも、それぞれの人生を楽しんで生きていくという、自由な関係を目指すことを言うそうです。

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山下達郎の子供(娘)はイラストレーターの山下えり

そんな山下達郎さんと竹内まりやさんの間には、女の子が一人誕生しており、1984年に誕生した、画家でイラストレーターの山下えりさんです。

山下えり
山下達郎さんの娘の山下えりさん。

山下えりさんは、幼少期から独学で絵画や工作に親しみ、青山学院大学を卒業後は、額縁販売の仕事をしていたそうですが、創作の道を志し、武蔵野美術学園の日本画コースで学び、2012年に修了しているといいます。

お読みいただきありがとうございました

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