1978年に、シングル「戻っておいで・私の時間」でデビューすると、結婚後は、家庭を優先し、メディアへの露出やライブ活動をほぼ行わない中、シンガーソングライターとして多数のヒット曲を連発している、竹内まりや(たけうち まりや)さん。
そんな竹内まりやさんは、プライベートでは、ミュージシャンの山下達郎さんと結婚しています。
今回は、竹内まりやさんの、夫・山下達郎さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)、子供(娘1人)についてご紹介します。
「竹内まりやの生い立ちは?幼少期からピアノ!中高校時代は音楽雑誌の編集者に憧れていた!」からの続き
竹内まりやの夫・山下達郎との馴れ初めは?
竹内まりやさんは、1982年4月6日、ミュージシャンの山下達郎さんと結婚しています。
竹内まりやさんは、デビュー前、山下達郎さんが所属していたレコード会社と契約することになり、山下達郎さんの所に挨拶に行った際、サイン帳を持って行き、サインを頼んだそうですが、
山下達郎さんには、
これからデビューするような立場の人間が、同業者にサイン頼んだりしちゃいけない!
と、たしなめられ、結局、サインはしてもらえなかったそうで、
竹内まりやさんは、この時、
ヤなヤツ~!
と思い、山下達郎さんの初対面での第一印象は最悪だったそうです。
竹内まりやは夫・山下達郎の仕事に対する誠意ある姿に惹かれていた
そんな中、竹内まりやさんは、結婚するアン・ルイスさんのために、「リンダ」という曲を書いていたそうですが、レコーディングがうまくいかず、困り果て、山下達郎さんに助けてほしいと電話で訴えると、
山下達郎さんは、すぐにスタジオに来て、朝の2時~3時までかかってコーラスなどをやってくれたそうで、このことがきっかけとなり、竹内まりやさんは山下達郎さんに好意を持つようになったそうです。
ちなみに、竹内まりやさんは、2019年、ラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」に出演した際、
きっかけはね、アン・ルイスさんの『リンダ』っていう曲を私が書いたときに、彼がコーラスでやってきてくれて…。
で、それを徹夜でもう本当に仕事が立て込んでいた時に、徹夜で1人多重のコーラスをずっと1人でやっている姿を見て、「あぁ~この人誠意があるな」って。その辺からちゃんとお付き合いをしましょうみたいになって。
と、語っています。
若かりし頃の山下達郎さんと竹内まりやさん。
竹内まりやは夫・山下達郎と結婚後はキャリアよりも家庭を優先していた
さておき、その後、竹内まりやさんは、1979年にリリースした3枚目のシングル「SEPTEMBER」がヒットし、「第21回日本レコード大賞」新人賞を受賞すると、
その後も、1980年にリリースした「不思議なピーチパイ」が累計売上40万枚を超えるヒットとなり、瞬く間にスターダムに駆け上ったのですが、
1982年に山下達郎さんと結婚すると、あっさりとキャリアを捨てて、家庭を優先しており、
某音楽関係者は、
音楽は仕事でなくても楽しめる。でも家庭と向き合うことは今しかできない—そう思った彼女はスーパーで普通に買い物し、移動はバスでしていました。自分のことを“シンガー・ソング・専業主婦”と呼んでいたくらいです
と、語っています。
山下達郎さんと竹内まりやさん。
一方、山下達郎さんには、(家庭に入ってからも)竹内まりやさんの全作品のアレンジやプロデュースを担当するなど、公私ともにサポートし続けてもらったそうで、
竹内まりやさんは、山下達郎さんの強力なバックアップのもと、「駅」「シングル・アゲイン」「告白」などの名曲を次々と生み出しており、
竹内まりやさんは、そんな山下達郎さんのことを、
達郎自身の音楽制作やライヴに使えるはずだった時間を私に分けてくれていることに、とても感謝しています
彼のことは本気で音楽界の人間国宝だと思っている
と、感謝の気持ちを語っており、尊敬の念が絶えないようです。
また、竹内まりやさんは、日本を代表するシンガーソングライターでありながら、10年単位でしかツアーを行わないそうですが、
それは、自分よりも、夫・山下達郎さんの音楽活動を優先しているからだそうで、竹内まりやさんの山下達郎さんへの深い思いが感じられます。
竹内まりやと夫・山下達郎の現在の夫婦仲は?
そんな竹内まりやさんは、2024年11月号の「家庭画報」のインタビューで、
以前、人の前世がわかるとかいうアメリカ人の女性が私を見て、夫の達郎のことも何もまったく知らない人だったのですが、なんと「あなたはこれまでの過去世で、今のご主人と11回結婚していますね。今世で12回目です」って、どんだけ~?(笑)
と、のろけており、
結婚42周年となる2024年現在も、山下達郎さんへの思いは変わらないどころか、ますます、深くなっているようです。
一方、山下達郎さんはというと、2020年、知人に、
卒婚ってどう思う?
と、漏らしていたそうですが、
この話が出回った後も、竹内まりやさんは、
けんかもできないほど相性がいいのよ
と、のろけていたそうで、
魂レベルで深い結びつきを感じている竹内まりやさんにとって、山下達郎さんが漏らした一言など、何でもないことだと、分かります。
(「卒婚」とは、離婚届は提出せずパートナーの形は保ちながらも、それぞれの人生を楽しんで生きていくという、自由な関係を目指すことを言うそうです)
竹内まりやの子供(娘)はイラストレーターの山下えり
そんな竹内まりやさんと山下達郎さんの間には、女の子が一人誕生しています。
竹内まりやさんの娘の山下えりさん。
娘さんは、1984年に誕生した、画家でイラストレーターの山下えりさんで、山下えりさんは、幼い頃から、絵画や工作に親しみ、青山学院大学を卒業後は、額縁販売の仕事に携わると、その後、創作の道に進み、現在は、オンラインショップで自身の作品を販売しているそうです。
1978年11月、ファーストシングル「戻っておいで・私の時間」でデビューすると、「September」「不思議なピーチパイ」などがヒットし、 結婚後は、作曲家・作詞家としても、「元気を出して」「駅」など数々の作品をほかの …