プロボクサー時代には、日本フライ級王者に輝き、現役引退後は、コメディアンや俳優としても活躍した、たこ八郎(たこはちろう)さんですが、
人気絶頂だった、1985年、44歳の時、神奈川県足柄郡真鶴町の海水浴場で、仲間と飲酒後、海水浴をしている際に溺れ、その後引き上げられるも、意識が戻らないまま他界されたといいます。
今回は、たこ八郎さんの15年来の友人で俳優・演出家の外波山文明さんの証言を交えて、たこ八郎さんの死去した際の状況をご紹介します。
「たこ八郎は結婚していた?子供(息子)は?あき竹城と交際していた?」からの続き
たこ八郎は飲酒後の深夜2時頃に外波山文明らと海水浴に出発していた
たこ八郎さんの15年来の友人で、俳優・演出家の外波山文明さんによると、たこ八郎さんと外波山文明さんは、1985年7月24日水曜日、仲間たち(外波山文明さんの男友達、外波山文明さんの劇団の女性3人)と一緒に海に行こうと、
外波山文明さんが経営する新宿ゴールデン街のバー「クラクラ」が終わった深夜2時頃、車で東京を出発したそうです。
(たこ八郎さんは、外波山文明さんのお店「クラクラ」で閉店まで飲んでいたため、車中ではほぼ寝ていたそうです)
ただ、海に行くことは予定していたものの、行き先までは決めていなかったため、真鶴道路を走っている最中にあった(神奈川県足柄郡真鶴町の)岩海水浴場で遊ぶことにしたといいます。
たこ八郎は沖のブイまで泳ぐも、浜に戻る際に溺れていた
そして、到着したのが未明の4時半頃だったため、外波山文明さんたちもそれから寝たそうですが、
しばらくして起き、みんなで海の家に行くと、周りが、
たこちゃんが来てる!
と言って一杯おごってくれたことから、
たこ八郎さんは、また、お酒を飲み始めたといいます。
すると、午前8時頃、たこ八郎さんが、
ちょっと泳ごうかなあ
と、言ったことから、
外波山文明さんも一緒に海に入り、沖のブイまで一緒に泳ぐと(砂浜から20メートルほど)、ブイに2人で捕まりながら少し浮かび、しばらくして、そろそろ引き返そうということになり、再び、泳ぎ始めたそうですが・・・
外波山文明さんが足のつくところまで泳いで、ふと横を見ると、たこ八郎さんの姿が見えず、
たこちゃんがいない。あれ?
と、振り返ると、ブイの近くでたこ八郎さんがうつ伏せで浮いているのが見えたそうです。
そこで、慌ててブイのところまで引き返し、たこ八郎さんを抱き上げると、鼻と口から大量の水が出てきたそうで、なんとか浜まで戻り、顔を横に向けてお腹あたりを押したそうですが、またしても、大量の水が鼻と口から出てきたそうで、
外波山文明さんは、たこ八郎さんがもう助からないと一瞬で分かったそうです。
たこ八郎は救急隊員が応急処置を施すもすでに瞳孔が開いていた
それでも、外波山文明さんが救急に連絡すると、渋滞で到着まで1時間以上待たなければならなかったそうで、
(救急車が到着するまでの間、たこ八郎さんの師匠だった由利徹さん、マネージャー、たこ八郎さんの実家、赤塚不二夫さんに連絡したそうです)
その後、救急車が到着し、救急隊員が応急処置した際には、一瞬だけ、たこ八郎さんの顔色が良くなった気がしたそうですが、すでに瞳孔(どうこう)が開いており、午前10時49分、たこ八郎さんの死亡が確認されたのだそうです。
(たこ八郎さんの訃報は、午前11時頃にテレビの臨時ニュースで流れたそうです)
たこ八郎の死因は心臓マヒによる溺死で「タコ海に帰る」と報じられていた
ちなみに、たこ八郎さんの死因は、心臓マヒによる溺死とされているのですが、
(東スポには、「タコ海に帰る」の見出しで報じられたそうです)
外波山文明さんによると、たこ八郎さんの死後、火葬場でお経を読んでくれたお坊さんから、
(たこ八郎さんの)首の骨が黒くなってたから、もしかしたら泳いでる最中に血管が切れて呼吸が止まり、血が首の骨を染めたのかもしれない
と、言われたとのことで、
首の血管が切れたことが原因だったのかもしれません。
「たこ八郎の葬儀でのタモリの追悼が独特!赤塚不二夫は?たこ地蔵とは?」に続く
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