1968年にデビューすると、その後、社会的な差別問題を題材にした「チューリップのアップリケ」や「手紙」、学生運動のテーマソングのような存在となった「友よ」など、数々の名曲を輩出した、岡林信康(おかばやし のぶやす)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、岡林信康さんの、妻、子供(息子・娘)、孫、そして、元彼女の吉田日出子さんについてもご紹介します。
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岡林信康の妻は?
岡林信康さんは結婚しているようですが、岡林信康さんはプライベートをほとんど明かしていないため、奥さんとどのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
岡林信康の息子は元プロボクサー
岡林信康さんには、息子さんと娘さんが一人ずついるそうで、
息子さんは、大介さんと言い、帝拳ジムに所属するプロボクサーで、日本ミニマム級5位になったこともあったそうですが、現在は引退しているようです。
岡林信康の娘は?「復活の朝」のジャケットは孫が制作!
岡林信康さんの娘さんは、みのりさんと言うそうで、岡林信康さんが、1977年にリリースしたアルバム「ラブソングス」には、娘さんや息子さんのことを歌った、「みのり」「Mr.Oのバラッド」などの曲が収録されています。
また、アルバム「復活の朝」のジャケットは、みのりさんの子供(岡林信康さんの孫)が描いたといいます。
ちなみに、ダンサーの岡林みのりさんが、岡林信康さんの娘ではないかという噂があり、岡林みのりさんのプロフィールを拝見したところ、京都出身(岡林信康さんは滋賀県の出身ですが京都在住)という共通点があり、娘である可能性もありますが、
岡林信康さんは、子供についても、奥さん同様、ほとんど明かしていないため、真偽は不明です。
岡林信康の元彼女は吉田日出子
そんな岡林信康さんは、1970年頃には、女優の吉田日出子さんと交際していたといいます。
岡林信康さんと吉田日出子さん。
岡林信康さんは、1969~1970年頃、延々と続くライブスケジュールのハードさや、コンサートを主催する労音(全国勤労者音楽協議会)との軋轢(あつれき)、自身の内面や性について歌うことへの批判、それに対する論争などで肉体的も精神的にも疲れ果てていたそうで、
1970年1月1日、所属事務所の「高石友也事務所」が「音楽舎」へ改名したことをきっかけに、婚約者とキューバに行く予定をしていたそうですが、
そんな中、吉田日出子さんと浮気し、キューバに行くことを中止すると、その後、吉田日出子さんと同棲生活を始めたといいます。
(吉田日出子さんとは籍は入れておらず、事実婚の関係にあったようです)
そして、1970年にリリースしたアルバム「見るまえに跳べ」に収録されている「NHKに捧げる歌」という曲では、吉田日出子さんとデュエットしたり、
岡林信康さんのコンサートに、度々、吉田日出子さんが飛び入り参加するなど、交際は順調に進んでいたそうですが、半年で破局したといいます。
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「チューリップのアップリケ」「手紙」「友よ」などを発表し、”フォークの神様”と称された、岡林信康(おかばやし のぶやす)さんですが、 “歌謡界の女王”と称された美空ひばりさ …