1980年、漫才コンビ「B&B」として、漫才ブームを巻き起こし牽引した、島田洋七(しまだ ようしち)さんですが、共に漫才ブームを牽引した「ツービート」のビートたけしさんとは、お互いの実力を認め合う仲で、親友として知られています。
今回は、そんな島田洋七さんとビートたけしさんの、出会い、エピソード、現在の関係についてご紹介します。
「【画像】島田洋七の若い頃はB&Bで漫才ブーム!書籍がばいばあちゃんもベストセラー!」からの続き
島田洋七とビートたけしの出会いは?
島田洋七さんは、1979年頃、「横山やすし・西川きよし」と共に「B&B」として東京の番組に呼ばれた際、
横山やすしさんに、
東京におもろいやつがおるからおまえに紹介したるわ。たけし言うやつや
と、言われて、
錦糸町で待っているというビートたけしさんをタクシーで迎えに行き、
この時、初めて、
北野で~す
島田で~す
と挨拶し、ビートたけしさんと知り合ったそうで、
その後、横山やすしさんに、ビートたけしさんと共に千葉の国道沿いの大衆食堂へと連れて行かれたそうですが、
(この頃、横山やすしさんは大変な売れっ子だったことから、島田洋七さんは、てっきり、銀座のクラブにでも連れて行ってもらえると期待していたそうですが、向かった先は千葉の国道沿いの大衆食堂だったとのこと)
横山やすしさんは、店に到着してから、程なくして、
お前ら待っとけ
と言って、店の大将と別の店に飲みに行ったそうで、
島田洋七さんは、初対面のビートたけしさんと2人で食堂でビールを飲んで待っていたそうです。
ただ、結局、横山やすしさんは食堂には戻ってこず、午後11時45分になり、店が閉店準備を始めたことから、島田洋七さんとビートたけしさんは、店を出て駅に向かったそうですが、最終電車は出てしまった後だったそうで、
二人とも所持金がほとんどなく、タクシーに乗ることも出来なかったことから、仕方なく、東京方面を目指して、始発まで歩いて帰ることにしたそうで、
島田洋七さんとビートたけしさんは、千葉県浦安まで4時間半かけて歩き、その後、始発の時間になって電車に乗ってホテルまで帰ったそうですが、
この4時間半、二人は、夜通し、夢を語り合ったそうで、
島田洋七さんは、後に、
この体験があったからずっと友達でいられたのではないか
と、語っています。
ちなみに、島田洋七さんは、この夜、ビートたけしさんに、
成功して大金を掴んだら何が欲しいか
と質問され、
鯖を腹一杯食べたい
と、答えたそうですが、
ビートたけしさんは、
俺は芸が買いたい
と、言ったそうで、
島田洋七さんは、後に、
そこがたけしとボクとの差ですね
と、語っています。
島田洋七とビートたけしは気の合う飲み友達だった
その後、1980年、「B&B」で大ブレイクを果たした島田洋七さんは、レギュラーが週に最大19本となり、給料も右肩上がりとなったそうで、
出版社の編集者に誘われて初めて銀座も体験すると、次は実力で行ってみようと、ビートたけしさんと一緒に、自腹で銀座に行くことにしたそうですが、
ビートたけしさんが、”銀座のクラブのナンバーワンホステスの月給が200万円”という記事を見て、1軒200万円と勘違いし、給料日にお互い2000万円ずつカバンに詰めて銀座に行ったそうで、
2000万円ずつカバンに詰めていたため、怖くて店では荷物を預けられず、抱いたままでいたことから、少しも楽しめなかったそうです。
ただ、最後に会計をしてもらうと、たった13万円だったそうで、
(ビートたけしさんは「安~っ」と叫んでいたそうです)
その後、4年程は、しばしば、二人で飲みに行ったそうで、
島田洋七さんは、
たけしと仲良かったから、酒の量も同じくらいだから、一緒によう行って、ウイスキーで言ったら水割り20杯くらいは飲んでた。
と、語っています。
ビートたけしは島田洋七の仕事が激減した際、さりげなく援助していた
しかし、やがて、漫才ブームが終わると、島田洋七さんの仕事は激減。
そんな中、ビートたけしさんから、
クラブで漫才するから俺んとこへ来い。おまえ金ねぇんだろ?
と、連絡が入ったそうで、
島田洋七さんが、急いでビートたけしさんの元へ行き、その後、二人でクラブに行き、
(島田洋七さんは、ビートたけしさんの誘いだったことから、座っただけで何万円もするような高級クラブだと思ったそうですが、そのお店は高級クラブではなく、特に控室もなく、そのままの服で舞台衣装に着替えることもなく出演したそうです)
30分ぐらいの漫才を終えると、
裏の事務所へ戻った際、ビートたけしさんが、
今日のギャラだ
と、言いながら、
店の名前が書かれた100万円の入った封筒を10個(1000万円)出し、そのうち、半分の500万円をくれたのだそうです。
これに、島田洋七さんが驚き、
おまえは稼いでんねんから8対2ぐらいでえんちゃうんか?
と、言うと、
ビートたけしさんは、
バカヤロー! 漫才のギャラは折半に決まってるだろ!
と、言って、自分の500万円はセカンドバッグに入れて出ていったそうで、
島田洋七さんは、このことについて、
後で考えたら、何十人しか入らん店でやで、1人10万取ったって1000万円なんかならへんし、たけしを呼べるいう実績作りでも1000万も払わんやろう?
せやから、たけしに聞いたこともないけど、あの時の金はたけしが用意して、漫才の仕事のギャラとして俺にくれたんやと思うねん。
当時のたけしからしたら、500万なんか屁でもない金やけど、なんもせんと500万もろたら俺がみじめやんか。せやからわざわざ知り合いの店に頼んで漫才する場所をつくってくれたんやと思うわ。あいつはシャイな、そういうやつやねん
と、目を潤ませながら語っています。
島田洋七とビートたけしが親友になったのは「フライデー襲撃事件」がきっかけだった
ちなみに、島田洋七さんは、飲み友達だったビートたけしさんと親友になれたのは、ビートたけしさんが1986年に「フライデー襲撃事件」を起こしたことがきっかけと考えているそうです。
というのも、この事件の後、ビートたけしさんは、沖縄・石垣島で謹慎していたそうですが、誰も面会に来なかったそうで、
そんな中、島田洋七さんは、この頃、仕事がなく、暇だったこともあり、週に3日はビートたけしさんのもとを訪ね、2人で飲み歩いたそうで、
(ビートたけしさんは、感謝の気持ちから、1日中、泣いていたそうです)
このことがきっかけとなり、2人は絆を深め、親友になったのだそうです。
島田洋七とビートたけしは7年間同居していたことがあった
そんな島田洋七さんとビートたけしさんは、1990年代には、7年ほど、同居していたことがあったそうで、島田洋七さんは、たけし軍団のコック長のような仕事をしていたという話があるのですが、
当時を知る、演芸雑誌のベテラン編集長は、
2人は7年ほど同居していたんです。たけしさんが大ヒット番組“平成教育委員会”シリーズ(フジテレビ系)に出演していたときは、収録後、洋七さんに電話をして、何が食べたいかと聞き、
帰宅前、超高級車のロールスロイスで庶民派スーパーに寄って、食材を購入。晩ごはんを作ってあげていたと聞きます。洋七さんが“うどんを食いたい”といえば、麺から打ったこともあるようです
と、語っています。
島田洋七はビートたけしのアドバイスで「佐賀のがばいばあちゃん」を出版していた
また、島田洋七さんは、ビートたけしさんと飲んだ際、ビートたけしさんが母親の自慢話をしたことから、それに対抗して、祖母の話をしたことがあったそうですが、
これに対し、ビートたけしさんは涙を流して大笑いし、
絶対に本にすべき
と、言ったそうで、
(それまで、島田洋七さんは、貧乏だった少年時代を恥ずかしく思い、おばあちゃんとの思い出についても、ほとんど誰にも話したことがなかったそうです)
島田洋七さんは、このアドバイスを受け入れて本を書き上げたそうです。
ただ、出版社に持ち込むと、
お笑いの人にしては話が地味
B&Bで漫才やってらっしゃる頃なら(出せますが)
などと、40社回っても、どこからも断られてしまったそうで、
仕方なく、島田洋七さんは、芸人仲間などからカンパを募って自費出版し(1987年12月)、講演会で手売りもしたそうですが、それほど評判にはならなかったのだそうです。
(この時のタイトルは、ビートたけしさんにつけてもらった「振り向けば哀しくもなく」だったそうです)
それでも、それから14年後の2002年、佐賀地域だけで売れたらいいと、「佐賀のがばいばあちゃん」と改題し、2度目の自費出版をしたところ、2万部を売り上げたそうで、
その後、徳間書店から出版させてほしいと連絡があり、3度目の出版で文庫化されると、口コミで評判が広がり、ベストセラーとなったのだそうです。
島田洋七とビートたけしは現在も強い絆で結ばれていた
そんな島田洋七さんとビートたけしさんの絆は現在も強いようで、
2015年に公開された北野映画「龍三と七人の子分たち」での、下條アトムさん演じる京浜連合のヤクザの役名の「徳永」が、島田洋七さんの本名から命名されたものだったほか、
(島田洋七さんの本名は「徳永昭広」です)
ビートたけしさんは、2024年、「ビートたけしのTVタックル」に出演した際、この日のテーマが、「ご長寿大国ニポンの未来はど~なる?SP」で、
番組の最後に、共演の作家・阿川佐和子さんに、
男の人って高齢になるに従って、新しい(人との)接触をするのは好まない?
と、尋ねられると、
好まないね
と、即答し、
結局、行き着くところはB&Bの(島田)洋七とかと『おお元気か?遊びに来いよ』とか2人で昔の話をして、バカなこと言って酒飲んでるだけになっちゃう
と、語っており、
現在も、島田洋七さんとビートたけしさんは強い絆で結ばれていることが分かります。
「島田洋七の妻との馴れ初めは?子供は?現在は佐賀に移住!夫婦仲は?」に続く
ビートたけしさん(左)と島田洋七さん(右)。
1980年代、漫才コンビ「B&B」として大ブレイクし、漫才ブームを牽引すると、1987年に自費出版した「佐賀のがばいばあちゃん」も、2007年4月までに400万部を売り上げ、ベストセラー作家としての地位も確立し …