8歳の時、「金語楼劇団」の子役として舞台デビューすると、23歳の時には、コメディドラマ「おトラさん」シリーズのお豆さん役でブレイクし、以降、数多くの、舞台、映画、テレビドラマに出演した、小桜京子(こざくら きょうこ)さん。

そんな小桜京子さんは、プライベートでは、マジシャンの引田天功(初代)さんと結婚し離婚しています。

今回は、小桜京子さんの、引田天功(初代)さんとの馴れ初め、子供(娘)、師匠で叔父の柳家金語楼さんについてご紹介します。

小桜京子

「【画像】小桜京子の若い頃は?デビュー(子役時代)からの出演ドラマ映画は?」からの続き

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小桜京子の元夫・引田天功(初代)との馴れ初めは?

小桜京子さんは、引田天功(初代)さんが、まだ、日本テレビで”大脱出シリーズ”を放送される前の無名時代に、引田天功(初代)さんの師匠の松旭斎天洋さんの紹介で知り合い、1964年に結婚したそうです。

引田天功
小桜京子さんの元夫・引田天功(初代)さん。

ちなみに、小桜京子さんは、

なんとか(引田天功さんが)有名になるために一肌脱ぎたいなと思いまして・・・

と、語っているほか、

自伝「パパのいない誕生日」で、引田天功(初代)さんとの運命的な出会いについても綴っています。

小桜京子と元夫・引田天功(初代)の離婚理由は?

ただ、引田天功(初代)さんとは、6年後の1970年に離婚。

離婚に至った経緯など詳しいことは不明ですが、引田天功を引き継いだプリンセス天功(2代目引田天功)さんによると、

引田天功(初代)さんは、1966年頃、全国に3人の”夫人”がおり、それぞれと結婚しようと言っていたにもかかわらず、結婚せず、3人から結婚詐欺で訴えられていたとのことなので(この話の真偽は不明)、これが、原因だったのかもしれません。

また、小桜京子さんは、引田天功(初代)さんと離婚後、再婚はせず、生涯独身を通しています。

小桜京子の娘は声優の引田有美

そんな小桜京子さんは、元夫・引田天功(初代)さんとの間に、女の子を1人出産しており、声優の引田有美(旧芸名は小桜有美)さんです。

引田有美さんは、1978年12月1日、13歳の時に、本名の「稲葉有美」名義で「だからもう一度」で歌手デビューすると、その後、声優に転身し、アニメ「それいけ!アンパンマン」のケチャップリン役、アニメ「サクラ大戦」の紅のミロク役、「ペンギン物語」のマリーナ役などの声を務めています。

「だからもう一度」
「だからもう一度」

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柳家金語楼(初代)は小桜京子の叔父で師匠

ちなみに、小桜京子さんの師匠・柳家金語楼さんは、小桜京子さんの叔父だそうで、

1907年(明治40年)、6歳の時に、二代目三遊亭金馬に入門すると、大正9年(1920年)、19歳の時に、柳家金三を名乗り真打ちに昇進し、

そんな中、大正10年(1921年)には、朝鮮羅南七三連隊に入隊するのですが、除隊後の大正13年(1924年)には、柳家金語楼を名乗り、軍隊での体験をもとにした自作品「噺家の兵隊(兵隊落語)」が大ヒットし、一躍スターとなったそうです。

そして、その後、昭和13年(1938年)には、落語家から喜劇役者に転向し、吉本興業に所属すると、舞台、映画に数多く出演し、戦後は、テレビ開局と共に、クイズ番組「ジェスチャー」、コメディードラマ「おトラさん」、トーク番組「こんにゃく問答」などで活躍したそうです。

柳家金語楼
柳家金語楼さん。

お読みいただきありがとうございました

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