2010年4月、25歳の時、小澤慎一朗さんとお笑いコンビ「ピスタチオ」を結成すると、2014年12月には、「アメトーーク! 」の「パクリたい-1グランプリ」で、優勝したことがきっかけとなり、白目を見せる”白目漫才”で大ブレイクを果たすも、2022年5月には、「ピスタチオ」を解散した、伊地知大樹(いじち ひろき)改め、ピスタチオ伊地知さん。
そんなピスタチオ伊地知さんは、実は、「ピスタチオ」としてブレイクする直前まで、ホストとして働いていたそうで、競争が激しい歌舞伎町のホストクラブでナンバーワンになったこともあるといいます。
今回は、ピスタチオ伊地知さんがホストになったきっかけ、ナンバーワンになるまでの経緯、その後についてご紹介します。
「ピスタチオ伊地知大樹の現在は?TikTok配信の投げ銭収入(月収)が凄い!」からの続き
ピスタチオ伊地知がホストとして働くようになった経緯とは?
ピスタチオ伊地知さんは、芸人2年目(24歳頃)から7年目までは、生活のため、東京・歌舞伎町のホストクラブ「アスキー」で、ホストとして働いていたといいます。
実は、ピスタチオ伊地知さんの地元の後輩がホストをしていて、人気ホストになり、自分のお店を持つことになった際、手伝ってほしいと声をかけられたことがきっかけでホストの仕事を始めたのだそうです。
ピスタチオ伊地知は歌舞伎町のホストクラブでナンバーワンホストになっていた
そんなピスタチオ伊地知さんは、「春風亭嵐」という源氏名を名乗ってホストデビューしたそうですが・・・
当初は、メイクやヘアスタイルを変えるなど、人気ホストのようなルックスになるように様々な工夫を凝らすも、まったく人気が出なかったといいます。
(最初、店長を打診されていたそうですが、芸人の仕事がおろそかになることを懸念し、週1~2回の勤務のつもりでホストとして勤務するつもりが、芸人の仕事が月1本のお笑いライブのみで、結局、休みは月1で、1ヶ月(31日)のうち30日出勤していたにもかかわらず)
そんな中、人気ホストのルックスをマネて勝負するのではなく、自分の特性を活かしたホスト像を作るべきだと気付いたそうで、
金髪、長髪、チャラい系が主流のホストの中で、黒髪、パーマ、メガネ、ヒゲなど、男らしい要素を取り入れ、硬派なスタイルに変えると、この硬派なスタイルは、ライバルの少ないニッチなポジションだったことから、徐々に、お客さんから人気を博すようになり、
ルックス以外にも、お笑いを活かしたトーク、お客さんウケするメールなどに気を配りつつ、
常に自分の嫁を探しているという気持ちで女性に接する
ことを意識した真摯な対応を心がけると、
そんな努力が実り、最終的には、競争が激しい東京・歌舞伎町のホストクラブで、ナンバーワンホストに上り詰めたのだそうです。
ピスタチオ伊地知はお笑いでブレイクする直前にホストを引退していた
そんなピスタチオ伊地知さんは、しばらくの間、「ピスタチオ」としての活動とホストを掛け持ちしていたそうですが、
「ピスタチオ」がブレイクする直前の2014年4月にホストを引退したといいます。
ピスタチオ伊地知のホスト時代の最高月収は?
ちなみに、ピスタチオ伊地知さんのホスト時代の最高月収は400万円もあったといいます。
それに引き換え、吉本のお給料はというと・・・
5年間でたったの9万8千円だったそうで、2015年2月のお給料は、ブレイク中だったにもかかわらず、7万円だったといいます。
ピスタチオ伊地知はヤンキーだった?
ところで、「ピスタチオ」結成当初、相方の小澤慎一朗さんにも怖がられるほど、ヤンキーなルックスだったというピスタチオ伊地知さんは、
(ピスタチオ結成前に)ピンで活動していた時は、ヤンキーネタをしていたこともあり、
元ヤンキー?
との噂がネット上で流れていたようですが、
ヤンキーだったという根拠は他にはありませんので、ヤンキーはただのネタだと思われます。
「ピスタチオ伊地知大樹の妻との馴れ初めやプロポーズは?元カノは?子供は?」に続く
2022年5月末、お笑いコンビ「ピスタチオ」を解散すると、以降、ピン芸人として活動している、伊地知大樹(いじち ひろき)改め、ピスタチオ伊地知さん。 そんなピスタチオ伊地知さんのプライベートはどのようなものなのでしょうか …