1970年代、ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカルとして活躍した、福井ミカ(ふくい みか)さん。
そんな福井ミカさんは、中学生の時に、ポップスやモダンジャズに夢中になると、高校2年生の時には、友人とフォーク・デュオを結成したそうですが、
ギターが弾けなかったことから、当時、京都で人気を博していた「フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦さんにギターを教えてもらうことを思いついたといいます。
今回は、福井ミカさんの、幼少期(生い立ち)から大学時代までをご紹介します。

福井ミカのプロフィール
福井ミカさんは、1949年4月17日生まれ、
京都府船井郡園部町(現在・南丹市)の出身、
血液型はB型、
本名は、福井光子、
学歴は、平安女学院高校
⇒京都精華大学美術科卒業
だそうです。
福井ミカが幼い頃は活発でガキ大将的な存在だった
福井ミカさんは、山をいくつも持ち、京都で材木商を営む裕福な家庭に、2人姉妹の長女として誕生すると、
福井ミカさんが2歳の時に、家業を手伝っていたお父さんの福井三郎さんが独立し、一家で京都市東山区に引っ越ししたそうです。
ちなみに、福井ミカさんは、幼い頃、活発な性格で、ビー玉、メンコ、時代劇遊びなど、男の子とばかり遊んでいたそうで、ガキ大将的な存在だったといいます。
福井ミカは中学生の時にポップスやモダンジャズに夢中になっていた
また、福井ミカさんは、中学生の時から、ポップスやモダンジャズに夢中になったそうで、
モダンジャズの店に行き、アート・ブレイキー、オスカー・ピーターソンなどに聴き浸っていたそうです。
福井ミカは高校2年生の時にフォーク・デュオ「ミカ&トンコ」を結成するもギターが弾けなかった
そして、高校2年生の時には、友達とフォークソング同好会を結成すると、自ら会長となって、運営に携わるほか、
同級生と「ミカ&トンコ」というフォーク・デュオを結成し、京都のアマチュア音楽団体「AFL」に加盟したそうですが、
2人ともギターをまともに弾けなかったことから、「ミカ&トンコ」としての活動はすぐに行き詰まったそうです。
福井ミカは高校2年生の時に加藤和彦にギターを教えてほしいと頼み込んでいた
そこで、福井ミカさんは、京都の学生フォークシーンで人気を博していた「フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦さんにギターを教えてもらうことを思いついたそうですが、
なんと、初対面にもかかわらず、コンサートの本番前の「フォーク・クルセダーズ」の楽屋に押しかけ、準備に忙しくしていた加藤和彦さんにギターを教えてほしいと頼み込んだといいます。
すると、加藤和彦さんはギターレッスンを受けてくれたそうですが、肝心の福井ミカさんのギターは一向に上達しなかったそうで、
やがては、加藤和彦さんに、
この先何年、あなたたちにギターを教えてもコンサートには間に合いそうにないから、とりあえず歌の練習をしましょう
と、言われ、
加藤和彦さんが、福井ミカさんのフォークデュオ「ミカ&トンコ」のバックでギターを弾いてくれることになったのだそうです。
そして、加藤和彦さんと出会って半年ほど経った頃、加藤和彦さんからアプローチされ、加藤和彦さんと交際するようになったのだそうです。
福井ミカは大学時代に毎晩祇園で遊んでいた
その後、福井ミカさんは、高校卒業後、京都精華短期大学美術科に進学したそうですが、学園紛争の時代だったため、大学はバリケード封鎖されて通えなくなったそうで、
実家が裕福だった福井ミカさんは、毎晩、祇園で遊んでは、飲酒運転で朝帰りするなど、女子大学生とは思えない放蕩(ほうとう)の日々を送っていたといいます。
福井ミカは21歳の時に加藤和彦とバンクーバーで結婚式を挙げていた
そんな中、福井ミカさんは、大学生の時(1969年頃)、加藤和彦さんにプロポーズされると、これを受け入れ、1970年7月、加藤和彦さんとカナダのバンクーバーで結婚式を挙げたのでした。
(加藤和彦さんは、1967年、1年間限定で、「ザ・フォーク・クルセダーズ」でプロとして音楽活動を始めると、「帰って来たヨッパライ」が爆発的なヒットを記録し、一躍、時の人となっていたのですが、忙しいスケジュールの合間を縫って、福井ミカさんと会い、交際を続けていたのだそうです)
「【画像】福井ミカの若い頃(サディスティックミカバンド)の代表曲やアルバムは?」に続く

1972年、23歳の時、「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカルとして、1stシングル「サイクリング・ブギ」でデビューすると、1973年には、1stアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリースするも、当初は、 …






