1975年11月、プロデューサーのクリス・トーマスさんとの不倫が原因で、前夫・加藤和彦さんと離婚すると、その後、クリス・トーマスさんと同棲を始めたという、福井ミカ(ふくい みか)さん。
今回は、福井ミカさんと事実婚相手・クリス・トーマスさんの、馴れ初め、同棲後の関係、破局に至った経緯についてご紹介します。
「福井ミカの前夫・加藤和彦との離婚理由は?ミカバンドの英ツアー中に?」からの続き
福井ミカとクリス・トーマスの馴れ初めは?
1974年、福井ミカさんと「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーたちは、1ヶ月間、ロンドンに滞在していたそうですが、
ある日のこと、音楽・映画評論家の今野雄二さんのはからいで、イギリスのロックバンド「ロキシー・ミュージック」のコンサートを観に行くと、
福井ミカさんが、休憩時間にお手洗いを探していた際、ちょうど、向こうからジーンズ姿のイギリス人の男性が歩いて来たそうで、
福井ミカさんが、
トイレはどこですか
と、尋ねると、場所を教えてもらったそうですが、
福井ミカさんがお手洗いから戻り、席に座ろうとしたところ、その男性に、
あなたは日本のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーですね
と、話しかけられたのだそうです。
実は、この男性は、イギリスの大物プロデューサーのクリス・トーマスさんだったそうですが、
(それまで、福井ミカさんは、クリス・トーマスさんを知らなかったそうです)
興味を持っているのでぜひレコードを聴かせてほしいと言われたそうで、
福井ミカさんは、
もちろん、よろこんで
と、答え、
帰国後、早速、クリス・トーマスさんにレコードを送ったのだそうです。
福井ミカは「黒船」のレコーディング中にクリス・トーマスと不倫関係になっていた
すると、折り返し、テレックスで返事が来たそうですが、そこには、
日本でサディスティック・ミカ・バンドのプロデュースをしたい
ことが書いてあったそうで、
1974年2月には、来日したクリス・トーマスさんを迎え、2枚目のアルバム「黒船」のレコーディングが始まったそうですが、この頃から、福井ミカさんとクリス・トーマスさんは、恋愛(不倫)関係となっていったのだそうです。
というのも、クリス・トーマスさんは、来日すると、東京・麻布にフラットを借りていたそうですが、部屋には、取り巻きの女性たちが入れ替わり立ち代わり泊まりに来ていたことから、女性用の化粧品が転がっていたそうで、
福井ミカさんは、そんなクリス・トーマスさんが気になりだし、(自分の家では家事はおろか掃除も一切しなかったそうですが)クリス・トーマスさんの身の回りの世話をするようになると、
自身が結婚していることも忘れて、
意地でもこの娘たちからクリスを奪ってやる
と、生来の闘争心に火がつき、やがては、クリス・トーマスさんとの仲が深まったそうで、
ついに、福井ミカさんは、「サディスティック・ミカ・バンド」のイギリスツアー(「ロキシー・ミュージック」のツアーに帯同)の最終日、ホテルに戻らずにクリス・トーマスさんの元へと走り、帰国せず、そのままイギリスに残ることを選択したのだそうです。
クリス・トーマスさん。
福井ミカはクリス・トーマスとのイギリス暮らしを満喫していた
そして、その後、福井ミカさんは、加藤和彦さんとの離婚手続きのため、日本に帰国し、同年(1975年)11月、加藤和彦さんとの離婚が成立すると、単身でイギリスに渡り、クリス・トーマスさんと暮らし始めたのだそうです。
ただ、クリス・トーマスさんは、離婚したばかりで、前妻がすべての家財道具を持ち去り、家には何もない状態だったうえ、慰謝料や養育費を支払わなければならず、一文無しの状態で、そのうえ、クリス・トーマスさんはお金にルーズだったことから、福井ミカさんが収入を管理したのだそうです。
(福井ミカさんは、日本では、夫の加藤和彦さんがプレゼントしてくれたロールス・ロイスを乗り回すほか、家事の一切を加藤和彦さんに任せていたそうです)
また、福井ミカさんは、この時、英語が話せず、英語が話せるようになるまで2年かかったそうですが、そんな生活も、それはそれで、新鮮で楽しかったそうで、
やがては、田舎に6000坪の広大な農地を買い、野菜作りを始めるなど、田舎の生活を満喫するようになったのだそうです。
福井ミカとクリス・トーマスの母親の仲は良好だった
そんな中、クリス・トーマスさんのお母さんは、福井ミカさんにイギリスの風習や流儀を教えてくれたそうで、福井ミカさんは、厳しくも優しいお母さんに、日本の祖母の姿を重ね合わせて、慕っていたそうですが、
(福井ミカさんは、幼い頃、両親に叱られると、おばあちゃんの家に家出するなど、とてもおばあちゃんっ子だったそうです)
クリス・トーマスさんのお母さんも、いつしか、福井ミカさんのことを、まるで実の娘のようにかわいがってくれるようになったのだそうです。
福井ミカはクリス・トーマスの音楽仲間のエルトン・ジョンやポール・マッカートニーとも交流を深めていた
また、福井ミカさんは、クリス・トーマスさんの音楽仲間のエルトン・ジョンさんやポール・マッカートニーさんら、大物ミュージシャンとも交流を深めたそうで、
特に、ポール・マッカートニーさんとは、家族ぐるみで親しく交流するようになったそうです。
福井ミカは8年でクリス・トーマスと破局
こうして、公私ともに順調満帆かと思われたクリス・トーマスさんとの生活ですが、1981年頃から、クリス・トーマスさんの浮気や暴力に悩まされるようになったそうで、それでも、福井ミカさんは、なんとか、修復を試みたそうですが、
努力も虚しく、1983年に別居すると、翌年の1984年には破局したのだそうです。
(福井ミカさんは、クリス・トーマスさんとは籍は入れていませんでした)
福井ミカの子供は?
ちなみに、福井ミカさんには、加藤和彦さんやクリス・トーマスさんとの間に子供はいないようです。
また、福井ミカさんが、クリス・トーマスさんと破局後、再婚したか、子供ができたかは、不明です。
さて、いかがでしたでしょうか。
福井ミカさんの、
- 福井ミカの生い立ちは?幼少期から裕福!大学時代は毎晩祇園で遊んでいた!
- 福井ミカのプロフィール
- 福井ミカが幼い頃は活発でガキ大将的な存在だった
- 福井ミカは中学生の時にポップスやモダンジャズに夢中になっていた
- 福井ミカは高校2年生の時にフォーク・デュオ「ミカ&トンコ」を結成するもギターが弾けなかった
- 福井ミカは高校2年生の時に加藤和彦にギターを教えてほしいと頼み込んでいた
- 福井ミカは大学時代に毎晩祇園で遊んでいた
- 福井ミカは21歳の時に加藤和彦とバンクーバーで結婚式を挙げていた
- 【画像】福井ミカの若い頃(サディスティックミカバンド)の代表曲やアルバムは?
- 福井ミカは23歳の時に1stシングル「サイクリング・ブギ」でデビュー
- 福井ミカは24歳の時に1stアルバム「サディスティック・ミカバンド」をリリースするも国内では理解されなかった
- 福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」として「キャロル」とジョイントツアーをするも客席はガラガラだった
- 福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」でロンドンに1ヶ月滞在していた
- 福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」としてリリースした2ndアルバム「黒船」が高く評価されていた
- 福井ミカは26歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」としてイギリスで大反響を呼んでいた
- 福井ミカが26歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」は解散
- 【画像】福井ミカの若い頃(バンド解散後)は?料理研究家に転向?現在は?
- 福井ミカは26歳の時にクリス・トーマスとロンドンで暮らし始めていた
- 福井ミカは31歳の時に「YMO」のアルバム「増殖」の「Nice Age」でナレーションをしていた
- 福井ミカは36歳の時にイギリスのフランス料理学校に通っていた
- 福井ミカは38歳の時に料理研究家としての活動をスタートさせていた
- 福井ミカは45歳の時に初のソロアルバム「ジャラン・ジャラン」をリリースしていた
- 福井ミカは現在も料理研究家として活動?
- 福井ミカの著書
- 福井ミカの前夫(最初の夫)加藤和彦との馴れ初めは?結婚後の夫婦関係は?
- 福井ミカの前夫(最初の夫)加藤和彦との馴れ初めは?
- 福井ミカは加藤和彦にバンドのバックでギターを弾いてもらっていた
- 福井ミカは加藤和彦の地道なアピールにより半年後に交際を開始していた
- 福井ミカは加藤和彦のプロポーズを条件付きで承諾していた
- 福井ミカは加藤和彦とバンクーバーの教会で結婚式を挙げていた
- 福井ミカの前夫・加藤和彦との離婚理由は?ミカバンドの英ツアー中に?
- 福井ミカは夫・加藤和彦と共に夫婦で「サディスティック・ミカ・バンド」として活動していた
- 福井ミカは加藤和彦とのロンドンでの暮らしを満喫していた
- 福井ミカと加藤和彦の離婚理由は?
- 福井ミカは離婚話の後もしばらく「サディスティック・ミカ・バンド」の活動を続けていた
- 福井ミカとクリス・トーマスの馴れ初めは?事実婚を8年間!子供は?
- 福井ミカとクリス・トーマスの馴れ初めは?
- 福井ミカは「黒船」のレコーディング中にクリス・トーマスと不倫関係になっていた
- 福井ミカはクリス・トーマスとのイギリス暮らしを満喫していた
- 福井ミカとクリス・トーマスの母親の仲は良好だった
- 福井ミカはクリス・トーマスの音楽仲間のエルトン・ジョンやポール・マッカートニーとも交流を深めていた
- 福井ミカは8年でクリス・トーマスと破局
- 福井ミカの子供は?
について、ご紹介しました。
高校2年生の時に、フォーク・デュオ「ミカ&トンコ」を結成し、加藤和彦さんにギターを教えてもらったことがきっかけで、「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカルとして活動し始めるも、
バンドの解散と同時に音楽の表舞台から離れた後は、イギリスのフランス料理学校で本格的にシェフの道を歩み、パティシエやワイン・ソムリエの資格も取得するなど、第二のキャリアを一から築き、その後は、「レディ・シェフ・ミカ」として料理研究家・レストランプロデューサーとして活動し、音楽とは異なる分野で新たな才能を開花させた福井ミカさん。
現在は、表舞台から遠ざかっている福井ミカさんですが、今後、どんな姿を見せてくれるの、まだまだ目が離せません。
1970年代、ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカルとして活躍した、福井ミカ(ふくい みか)さん。 そんな福井ミカさんは、中学生の時に、ポップスやモダンジャズに夢中になると、高校2年生の時には、友人とフ …