1972年、23歳の時、「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカルとして、1stシングル「サイクリング・ブギ」でデビューすると、1973年には、1stアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリースするも、当初は、女性がロックを歌うことや、派手なファッションが受け入れられなかった、福井ミカ(ふくい みか)さんですが、
1975年11月にリリースした2ndアルバム「黒船」は、日本のロック史上に残る傑作として、今もなお語り継がれています。
今回は、福井ミカさんの、若い頃(「サディスティック・ミカ・バンド」時代)の代表曲やアルバムなど経歴を時系列でご紹介します。
「福井ミカの生い立ちは?幼少期から裕福!大学時代は毎晩祇園で遊んでいた!」からの続き
福井ミカは23歳の時に1stシングル「サイクリング・ブギ」でデビュー
福井ミカさんは、1971年11月、夫の加藤和彦さんが、友人でドラマーのつのだ☆ひろさんとお遊びで結成したパーティーバンド「サディスティック・ミカ・バンド」にボーカルとして加入すると、
1972年6月5日、23歳の時、ファーストシングル「サイクリング・ブギ」でデビューを果たしています。
「サイクリング・ブギ」
福井ミカは24歳の時に1stアルバム「サディスティック・ミカバンド」をリリースするも国内では理解されなかった
そして、1973年5月5日には、ファーストアルバム「サディスティック・ミカバンド」をリリースするのですが、
当時、日本では、夫婦でロックバンドをすることや女性がロックを歌うこと自体が珍しく、グラムロックに影響を受けた派手なファッションなども、前衛的過ぎて理解されず、国内では数千枚しか売れませんでした。
(それでも、イギリスで、ハーヴェスト・レコードからリリースされると、特にロンドンで評判となり、逆輸入されるようになったといいます)
福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」として「キャロル」とジョイントツアーをするも客席はガラガラだった
また、「サディスティック・ミカ・バンド」は、1974年には、矢沢永吉さん率いるロックバンド「キャロル」とジョイントツアーをしているのですが、客席はガラガラだったといいます。
しかも、当初、「サディスティック・ミカ・バンド」がメインで、「キャロル」が前座だったところ、途中から立場が逆転し、「サディスティック・ミカ・バンド」が「キャロル」の前座をするようになったといいます。
福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」でロンドンに1ヶ月滞在していた
その後、福井ミカさんたち「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーは、1974年頃、1ヶ月ほど充電期間としてロンドンに滞在しているのですが、
(夫の加藤和彦さんが、2枚目のアルバムの構想を練る中、ブリティッシュ・ロックを基調にしたいと考え、「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーにイギリスの空気に触れてほしいと、イギリスに誘ったのだそうです)
福井ミカさんは、連日、コンサートやレコーディングスタジオで音楽に触れるほか、映画館に通ったり、ショッピングを楽しんだり、スーパーで買い物をして自炊したりしていた、このロンドンでの生活がすっかり気に入り、イギリスで暮らし続けることを夢見るようになったといいます。
福井ミカは25歳の時「サディスティック・ミカ・バンド」としてリリースした2ndアルバム「黒船」が高く評価されていた
そんな中、ロンドン滞在中、日本のロックバンドに興味を持っていたというイギリスの大物プロデューサーのクリス・トーマスさんから、「サディスティック・ミカ・バンド」の音楽をぜひ聴いてみたいとの申し出があり、
加藤和彦さんが、帰国後、早速、ファーストアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」を送ると、クリス・トーマスさんは、そのユニークなサウンドを気に入り、ぜひプロデュースしたいと申し出てきたそうで、
(ファーストアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」を聴いたクリス・トーマスさんから、プロデュースをさせてほしいと申し出があったという話も)
1974年11月、「サディスティック・ミカ・バンド」は、クリス・トーマスさんのプロデュースにより、2枚目のアルバム「黒船」をリリース。
すると、「黒船」は、”日本の音楽史に残る傑作”と高く評価されたのでした。
福井ミカは26歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」としてイギリスで大反響を呼んでいた
そんな「サディスティック・ミカ・バンド」は、1975年秋には、イギリスの人気バンド「ロキシー・ミュージック」とイギリスツアーを行うと、
「サディスティック・ミカ・バンド」のパフォーマンスが各地で大反響を巻き起こし、主役の「ロキシー・ミュージック」を食ってしまうほどの人気を博したそうで、
「サディスティック・ミカ・バンド」は、イギリスの主要な音楽雑誌などのメディアにより、大々的に取り上げられ、
ミカ・バンドは今必要とされているグループだ。彼らには最高のバンドとなるに必要な材料は全て揃っている(メロディ・メイカー)
ミカ・バンドの音楽性は想像以上に高く、とても避けがたい魅力がある(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)
1852年3月8日、米国海軍は日本に西洋文化をもたらした。それから123年後、ミカ・バンドはイギリスでツアーを行なっている(ニュー・ミュージカル・エキスプレス)
と、高く評価されたのでした。
福井ミカが26歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」は解散
しかし、イギリスツアー成功の裏では、福井ミカさんと加藤和彦さんの離婚の話が持ち上がっていたそうで、
1975年11月には、3枚目のアルバム「HOT! MENU」をリリースするも、福井ミカさんと加藤和彦さんが離婚したことにより、「サディスティック・ミカ・バンド」は解散となったのでした。
「【画像】福井ミカの若い頃(バンド解散後)は?料理研究家に転向?現在は?」に続く
1975年、加藤和彦さんとの離婚により、「サディスティック・ミカ・バンド」が解散した後は、料理研究家として活動していたという、福井ミカ(ふくい みか)さん。 今回は、そんな福井ミカさんが、「サディスティック・ミカ・バンド …