高校3年生の時、「鈴木弘とハッピー・キャッツ」のドラマーとしてデビューすると、以降、歌手、作曲家、タレントしても活動し、1971年には、歌手としてリリースしたシングル「メリー・ジェーン」が大ヒットとなった、つのだ☆ひろさん。
そんなつのだ☆ひろさんは、幼い頃から音楽が好きなお兄さんやお姉さんの影響で、音楽に恵まれた環境で育ったそうで、小学生の時、お兄さんが手作りしたドラムスティックで遊び始めると、中学生の時には本格的にドラムを始め、高校2年生の時には、ドラマーの冨樫雅彦さんに弟子入りしたといいます。
今回は、つのだ☆ひろさんの、幼少期(生い立ち)から冨樫雅彦さんに弟子入りするまでをご紹介します。
つのだ☆ひろのプロフィール
つのだ☆ひろさんは、1949年8月1日生まれ、
福島県東白川郡塙町の出身、
身長173センチ、
体重92キロ、
血液型はO型、
学歴は、
新宿区立淀橋第三小学校
⇒新宿区立淀橋第二中学校
⇒城西高校卒業
趣味は、料理、読書、音楽観賞、映画観賞、パソコン、格闘技観戦、
ちなみに、本名は「角田博民」、旧芸名は「つのだひろ」、
また、次兄は漫画家のつのだじろうさん、
4番目のお兄さんは、日本を代表するリュート奏者・つのだたかしさんです。
つのだ☆ひろは疎開先の福島で誕生し1歳4ヶ月で東京に戻っていた
つのだ☆ひろさんは、もともと理髪店を営んでいたお父さんのもと、8人兄弟(兄4人、姉3人)の末っ子として、疎開先の福島で誕生すると、つのだ☆ひろさんが1歳4ヶ月の時には、一家揃って東京(新宿の十二社)に戻ったそうです。
(つのだ☆ひろさんは、戦後生まれですが、つのだ☆ひろさんが生まれる前の戦時中、一家は、実家のある福島に疎開し、戦後もしばらく福島に住んでいたそうです)
つのだ☆ひろは小学生の時に兄のドラムスティックで遊ぶようになっていた
そんな中、つのだ☆ひろさんは、音楽が好きなお兄さんやお姉さんの影響で、幼い頃から音楽に恵まれた環境で育ったそうで、
家で宿題をしていた際、消しゴムが机から本棚の後ろに転がり落ち、拾おうとしたところ、すぐ上の兄・つのだたかしさんが映画「嵐を呼ぶ男」を観て憧れ、木を削って手作りしたドラムスティックを見つけたそうで、
そのドラムスティックで、本や空き缶をドラムに見立てて叩いてみたのをきっかけに、以降、布団や缶を叩いて遊ぶようになったそうです。
つのだ☆ひろは中学生の時に本格的にドラムを始めていた
そんなつのだ☆ひろさんは、中学生になると、近所にある熊野神社の能楽堂に、毎週日曜日、大学生のロックのバンドが練習するのを見に行くようになったそうですが、
ある雨の日、外から練習を見ていると、バンドのメンバーの人から「中に入らないか」と声をかけられ、中に入って、置いてあったドラムセットにも触らせてもらうと、ドラムがおもしろくてたまらなくなり、ますます、ドラムにのめり込んでいったそうで、
(この時、初めてドラムセットに触ったのだそうです)
中学時代には、牛乳配達、お歳暮の配達、年賀状の区分け、和菓子屋ののし餅づくりなどのアルバイトをして、先輩にシンバルとスネアを売ってもらったのだそうです。
(この大学生のロックバンドに誘われてボーカルとして加入したという話も)
つのだ☆ひろは中学3年生でドラマーになることを両親に宣言していた
また、つのだ☆ひろさんの家では、中学3年生になると、将来何になりたいか宣言しなければならないことになっていたそうですが、
つのだ☆ひろさんは、この時、正座をして、お父さんに、
ドラマーになります
と、言い切ったそうで、
両親は、本当は、子供たちには食いっぱぐれのない理容師になってほしかったそうですが、この頃、既に、13歳年上の兄・つのだじろうさんが売れっ子の漫画家となっていたため、「食べていける職業ならいい」と許してくれたのだそうです。
つのだ☆ひろは高校2年生の時にドラマーの冨樫雅彦に弟子入りしていた
そんなつのだ☆ひろさんは、高校2年生の時には、フリージャズのドラマーとして活躍していた冨樫雅彦さんに、土下座をして頼み込み、弟子にしてもらったそうで、
つのだ☆ひろさんは、自宅から歩いて、冨樫雅彦さんの自宅に通ったのだそうです。
(冨樫雅彦さんの自宅は渋谷区の参宮橋という所にあったそうです)
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