1967年、高校3年生(18歳)の時、「鈴木弘とハッピー・キャッツ」でプロのドラマーとしてデビューすると、1971年には、歌手としてリリースした「メリー・ジェーン」が大ヒットを記録した、つのだ☆ひろさん。
今回は、そんなつのだ☆ひろさんの若い頃(デビュー)から現在までのシングルほか経歴をご紹介します。
「つのだひろの生い立ちは?幼少期からドラム遊び!高2で冨樫雅彦に弟子入り!」からの続き
つのだ☆ひろは高校3年生(18歳)の時にプロのドラマーとしてデビュー
つのだ☆ひろさんは、1967年、高校3年生(18歳)の時、「鈴木弘とハッピー・キャッツ」でプロのドラマーとしてデビューすると、
卓越したテクニックと日本人離れしたパワフルなドラミングが評判を呼び、「佐藤充彦トリオ」「石川順三グループ」や「ジャックス」などにも参加し、デビュー当時は、8つのバンドを掛け持ちする、超多忙な日々を送っていたそうです。
つのだ☆ひろは19歳の時に「渡辺貞夫カルテット」に参加&退団
そんな中、1968年、19歳の時には、「渡辺貞夫カルテット」に参加すると、スイスのモントルー、アメリカのニューポートのジャズ祭など、各国のジャズイベントに出演したそうですが、
やがて、「渡辺貞夫カルテット」を退団したそうで、
つのだ☆ひろさんは、退団した理由について、
渡辺貞夫カルテットといえばジャズで日本トップのグループ。スイスのモントルー、アメリカのニューポートなどのジャズフェスティバルにもカルテットの一員として参加しました。
渡辺貞夫さんの元、いつも良い演奏をしなければならないプレッシャーがあったのですが、自分としてはアベレージで良い演奏ができなかった。良い時と悪い時が出てしまう。それが自分としても許せなかったんです
と、語っています。
(つのだ☆ひろさんは、一流のジャズカルテットを自分から辞めることでゼロから何かを始めることを学んだそうです)
つのだ☆ひろは22歳の時に「メリー・ジェーン」が大ヒット
その後、つのだ☆ひろさんは、ハードロックやポップスなど様々なジャンルの音楽にゼロから取り組み、1971年、22歳の時には、成毛滋さんと「ストロベリー・バス」を結成し、アルバム「大烏が地球にやってきた日」をリリースしているのですが、
収録曲の「メリー・ジェーン」をシングルカットし、つのだ☆ひろさんのソロとしてリリースすると、「メリー・ジェーン」は、大ヒットを記録。
この大ヒットで、つのだ☆ひろさんは、そのソウルフルな歌声で一躍脚光を浴びたのでした。
「メリー・ジェーン」
ちなみに、「メリー・ジェーン」は、もともと「メリー・ジェーン・オン・マイ・マインド」というタイトルで、アルバム「大烏が地球にやってきた日」に収録されていたそうですが、シングルカットされるにあたり、「メリー・ジェーン」と変えられたのだそうです。
(「メリー・ジェーン」は、田原総一朗さんが監督を務めた映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」の主題歌にも起用されました)
つのだ☆ひろは23歳の時に「サディスティック・ミカ・バンド」を結成するもすぐに脱退していた
そんなつのだ☆ひろさんは、1971年11月、23歳の時には、加藤和彦さん、福井ミカ(加藤ミカ)さんと共に、「サディスティック・ミカ・バンド」を結成すると、
その後、高中正義さんを加え、1972年6月21日には、シングル「サイクリング・ブギ」をリリースするのですが、
同年9月には脱退し、自身のバンド「キャプテンひろ&スペースバンド」を結成しています。
「サイクリング・ブギ」
(つのだ☆ひろさんが脱退後、「サディスティック・ミカ・バンド」は、後にYMOのメンバーとなる高橋幸宏さんが加入しています)
つのだ☆ひろは実力派ドラマー&シンガーソングライターとしても活動
その後も、つのだ☆ひろさんは、ジャズ、ロック、ソウルなど、ジャンルにとらわれず、日本を代表する様々なミュージシャンたちと共演して、ドラマーとしての地位を確立しているのですが、
その一方で、様々な歌手に楽曲提供を行い、清水健太郎さんの「失恋レストラン」「帰らない」ほか、研ナオコさんの「風をくらって」、南沙織さんの「街角のラブソング」、田原俊彦さんの「騎士道」をヒットさせるなど、作詞・作曲家としても活動しています。
つのだ☆ひろは33歳の時に「つのだ☆ひろドラムスクール」を開校していた
また、つのだ☆ひろさんは、1982年には、「つのだ☆ひろドラムスクール」を開校すると、その後、音楽スクール「WILD MUSIC SCHOOL」「ULTRAC(ウルトラック)」も開校しており、
ドラムスクールを開校した理由について、
僕らの時代、音楽をやっている仲間は皆長髪なんです。それが一定年齢になると、髪の毛を短く切ってスーツを着て会社に通い始める。でも皆、音楽をやりたかったんです。
僕はそういう皆さんの上に立ってミュージシャンをやらせて頂いてると思っています。そういう人達が、ある程度時間ができ、自分に余裕ができて音楽をやりたいと思ったとき、どこにやる場所がありますか?僕が始めたこの学校ではそれが可能なんです。
生徒同士が組んで実践ができます。実際にドラムを叩き他の楽器と一緒にアンサンブルをし、歌い手の伴奏をしてそれをお客さんに聞いてもらう。そこで初めて音楽の勉強なんです。
と、語っています。
つのだ☆ひろのディスコグラフィー(シングル)
それでは、最後に、つのだ☆ひろさんのディスコグラフィー(シングル)をご紹介します。
- 1971年「メリー・ジェーン / Mary Jane」
- 1972年「メリー・ジェーン / Mary Jane」
- 1972年「ウエスタン・ジョニー / Western Johnny」
- 1973年「初恋」
- 1974年「ミスターD.J.」(「つのだひろ&スペース・バンド」名義)
「ミスターD.J.」 - 1974年「夜明け前」(「つのだひろ&スペース・バンド」名義)
「夜明け前」 - 1975年「メリー・ジェーン / Mary Jane」
- 1975年「雨のある風景」(「つのだひろ&スペース・バンド」名義)
「雨のある風景」 - 1976年「メリー・ジェーン Mary Jane」
- 1978年「さらば愛の日々よ」
- 1979年「メリー・ジェーン / Mary Jane」
- 1979年「グッド・モーニング・ベイビー / GOOD MORNING BABY」
- 1980年「I LOVE TOKYO」(「つのだ☆ひろ・JAP’S GAP’S」名義)
「I LOVE TOKYO」 - 1981年「Please」(「つのだ☆ひろ・JAP’S GAP’S」名義)
- 1982年「メリー・ジェーン Mary Jane(’82 ver.)」(「つのだ☆ひろ・JAP’S GAP’S」名義)
- 1983年「LAY BACK」(「つのだ☆ひろ・JAP’S GAP’S」名義)
「LAY BACK」 - 1987年「Do You Know?幸福と涙の跡?」
- 1995年「NEVER MY LOVE」
- 2015年「Mary Jane (2015 ver.)」
などをリリースしているのですが、
特に、「メリー・ジェーン」は、長年にわたって愛され続けていることが分かります。
「つのだ☆ひろの妻との馴れ初めは?子供は息子と娘!兄弟は?」に続く
歌手として「メリー・ジェーン」が大ヒットするほか、ドラマー、シンガーソングライターとしても活躍すると、その後、「つのだ☆ひろドラムスクール」「WILD MUSIC SCHOOL」「ULTRAC(ウルトラック)」などを開校 …