40歳を過ぎてから小説家としてブレイクされた、浅田次郎(あさだ じろう)さん。1997年に、「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞されてから、引っ張りだことなられました。


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浮き沈みの激しかった少年時代

浅田さんのお父さんは、
戦後の闇市で、カメラ屋の経営に成功され、

幼い浅田さんは、東京都杉並区の、
ミッションスクール(キリスト教系学校)に、
運転手付きの外車で通学したり、
メイドがいる裕福な家庭に育ったそうです。

しかし、浅田さんが9歳の時、
お父さんは破産。

そのせいで、
両親は離婚し、失踪。

浅田さんとお兄さんは、
しばらくの間、あばら屋で、
おじいさんと暮らすことになります。

ほどなくして、お母さんに生活の目処がつき、
浅田さんとお兄さんを引き取りに来られ、
3人暮らしが始まります。

そして、浅田さんは、
貧しいながらも高校を卒業され、
その後、自衛隊に入隊されたのでした。

小説家への夢

しかし、もともと、
小説を書くことが好きだった浅田さんは、

小説家になるという夢が忘れられず、
自衛隊は2年で除隊されています。

その後は、職を転々としながら、
小説を書いては投稿をする、
という日々を送っておられましたが、
ついに、日の目を見ることはなかったそうです。

そんな浅田さんが、一番長くされたお仕事は、
ご自身で立ち上げた、婦人服販売会社の営業で、

小説家としての時間よりも、
営業の時間のほうが長かったそうです。

そのうち、仕事の傍ら、雑誌のライターとして、
インタビュー書評、風俗ルポ、競馬予想まで、
注文に応じて様々なテーマの記事を書かれるようになり、

ヤクザの日常や事件を描く、
「極道エッセイ」の連載を依頼され、
執筆されることになったそうです。

そして、1990年、
「週刊テーミス」で連載された、
「とられてたまるか!」が好評だったことから、
翌年に単行本化されることになったのでした。

さらに、複数の出版者からの依頼で、
「極道小説」をテーマに、
いくつかの小説の依頼を受けるようになったそうです。

直木賞を受賞

その後、1994年には、
極道物から初めて路線を変更した、
「地下鉄に乗って」を発表され、

翌年の1995年、
「吉川英治文学新人賞」を受賞。

1996年には、「蒼穹の昴」が、
「第115回直木三十五賞(直木賞)」
の候補に選ばれましたが、残念ながら落選。

浅田さんは悲嘆に暮れ、
書く気が起きなくなったそうですが、

女性編集者の叱咤激励で、次第にやる気を取り戻し、
翌年の1997年には、「鉄道員」で、
見事、「第117回直木賞」を受賞されたのでした。

直木賞受賞後は、講演会などの仕事が舞い込み、
非常に多忙になられたそうですが、

自衛隊時代に培った体力で、
スケジュールをこなされたということでした。

妻は?

そんな浅田さんは、1973年、
22歳の時に、結婚されています。

おそらく、自衛隊を除隊後、
小説を書きながら、仕事を転々とされている頃くらいに、
結婚されたのではないかと思われます。

浅田さんは、

高校卒業後に自衛隊へ入隊。
除隊後は職を転々とした。

とりわけ、結婚してしばらくの頃は、
土日もなく必死に働いた。

昼は会社、夜はスナックと、
2つの仕事をしていたこともある。
借金もずいぶんした。

と、語っておられました。

その奥さんとの間には、
娘さんが一人いらっしゃるそうです。

年齢は分かりませんでしたが、
精神科医をされている、
という情報がありました。

浅田さんは、精神を病んでおられた時期が、
あったようなので、

娘さんが精神科医を志されたのも、
そのような影響があったからかもしれませんね。

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ハッピー・リタイアメント!

浅田さんは、20代の頃に、
婦人服販売会社を開業されているのですが、

そのために、公的な金融機関から債務保証をしてもらい、
銀行からお金を借りられたそうです。

それを元手に商売を始められたのですが、
ほどなくして、銀行への返済が滞ってしまいます。

そこで、債務保証をしてもらった金融機関から、
債務を弁済してもらったそうです。

その後、紆余曲折あって小説家になり、
借金は、とうの昔に時効を迎えていました・・・

とご本人はおっしゃっていますが、

本来なら、当然、
銀行に代わりに弁済をしてもらった保証機関に、
返済をしていかなければならないのですが・・・

果たしてどのように、免れたのでしょう?

さておき、弁済の時効を迎えていたにもかかわらず、
保証機関に借金の記録が残っており、

現在の担当者が、30数年ぶりに、
浅田さんの居場所をつきとめて、
自宅に訪ねてこられたそうです。

安心していた浅田さんですから、
当然、びっくりされたそうですが、

債務は返さなくていいから、
せめて書類上の手続きをさせてください。

と言われたそうです。

そして、その担当者は、浅田さんのことを、
人気作家の浅田さんだと知ると、
びっくりされていたそうです。

一応、法的には時効が成立している借金ですが、
浅田さんは責任を感じられ、

税理士に名刺に書かれている内容について、
調べてもらったところ、
どうやら嘘ではなかったので、
借金を返すことにされたそうですが、

「振り込みではなく現金で」

と言われ、

さらに、支払い当日に集金にやってきた人は、
この前来た人とは別人。

前任者は一昨日定年退職されたといい、
お金を受け取った人も風のように消えたのだとか。

浅田さんは、

いま思い返しても、
やられたという感じがする。

あんまり悔しいから、
小説にして原稿料で取り返してやろうと思ってね(笑)

と語っておられました。

それが、小説「ハッピー・リタイアメント」
なのだそうです。

ちなみに、浅田さんは、
20代で立ち上げられた商売を、
50歳過ぎまでされていたとのことでした。

今でも、在庫や棚卸しの書類が目に浮かび、
目の前が真っ暗になるという夢をみるそうで、

あまりに生々しいご自分の経験は、
小説には書けないとおっしゃっていました(^^)

ともあれ、謎の多い浅田さんですが、
ユーモアがあり、ロマンのある小説は、
そういう経験から生み出されたものなのかもしれません。

これからも面白い小説で、
私達を魅了し続けてほしいですね。

応援しています!!

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