1920年、29歳の時、テニスの世界最高峰である四大大会(グランドスラム)の一つであるウィンブルドンに、日本人として初めて出場すると、いきなり、チャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)の決勝まで勝ち上がった(実質ベスト4)という、清水善造(しみず ぜんぞう)さん。

今回は、そんな清水善造さんのウィンブルドンでの活躍を、エピソードを交えながら時系列でご紹介すると共に、長年、教科書などで美談として語り継がれていた「やわらかなボール(スポーツマンシップ)」の真相についても、ご紹介します。

清水善造

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清水善造はウィンブルドン本番前に出場した大会で「ミスター・シミー」と呼ばれ人気を博していた

清水善造さんは、三井物産での赴任先のインド・カルカッタでの生活が8年目を迎えた、1920年、29歳の時、

3~4ヶ月のまとまった休暇を取ってイギリスのウィンブルドン大会に出場したいと考え、三井物産の所長の千田牟婁太郎氏に休暇を願い出ると、

(三井物産の内規で3~4ヶ月のまとまった休暇がとれることになっていたそうです)

休暇などと云わず、ロンドン出張にしてやるから好きなだけテニスをやってこい

と、言われたそうで、

早速、ウィンブルドン大会に申し込むと、同年4月には、インド・カルカッタを出発し、イギリス・ロンドンに渡ったそうで、

まずは、6月に開催されるウィンブルドン本番前の腕試しとして、ノース・ロンドン大会に出場すると、見事、優勝しています。

また、その後のケント選手権では、カルカッタ時代の好敵手・キングスコート選手と決勝で対戦しているのですが、

第一セットを5-7で落とし、第二セットの最中でのこと、突然の豪雨に遭い、役員たちは翌日からの再開を決めるも、清水善造さんは自ら棄権を申し出て、キングスコート選手の三連覇を認めたそうで、

この行動は、思いやりのある行為として、ロンドンの新聞各紙に大きく報道され、いつも笑顔の小柄な「ミスター・シミー」(清水善造さん)はロンドンでも人気者になったといいます。

(ただ、ウィンブルドン直前のクイーンズ・クラブでの大会では、当時、世界NO.1と言われたアメリカの大男・チルデン選手と初対戦すると、時速240キロ超と言われたチルデン選手のサーブに全く歯が立たず、1-6、1-6で完敗しています)

清水善造はウィンブルドン初出場でチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)の決勝まで勝ち上がっていた

そして、1920年6月21日、いよいよウィンブルドン選手権が開幕しているのですが、

実は、当時のウィンブルドンは、現在とは全く形式が違い、

  • 前年度優勝者(この年はオーストラリアのパターソン選手)は無条件で決勝に進出
  • それ以外の128人がチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)を戦い、勝ち上がった者が決勝に進出

というのものだったのですが、

清水善造さんは、この男子シングルスのチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)で、

  • 1回戦・2回戦では、簡単に勝利
  • 3回戦では、フランスの選手権者で優勝候補のゴベール選手に3−2の接戦で勝利
  • 4回戦・5回戦では、ストレート勝ち(セットを落とさず勝利)
  • 準決勝では、地元イギリスの強豪・マブロゴルダト選手に3−1で金星

と、快進撃を続けて決勝に進出したそうで、

「事実上のベスト4(準決勝進出者の中の上位)」に相当する成績を残したのでした。

(1922年からこの方式は廃止され、前年優勝者も最初から出場する現在の形になりました)

清水善造はウィンブルドンのチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)の決勝で負けるも英国各紙に驚嘆・称賛されていた

こうして、迎えた1920年6月30日、清水善造さんは、チャレンジ・ラウンドの決勝(挑戦者決定戦)で、当時、世界NO.1と言われたアメリカのビル・チルデン選手と対戦すると、

(この決勝戦は「強打のチルデン 対 粘りの清水」という異色の対決で観客が殺到し、立ち見が続出したそうです)

身長163センチの清水善造さんは、ビル・チルデン選手が188センチの長身から繰り出す“キャノンボール”と呼ばれる強烈な高速サーブに苦しめられるも、

持ち前の素早いフットワークと粘り強いレシーブでビル・チルデン選手の鋭いショットを拾い続け、一歩も引かない激闘を展開したそうですが、

第一セット4−6、第二セットも4−6とリードを許すと、迎えた第三セットでは、一時は5−2とリードするも、ビル・チルデン選手に追いつかれ、その後、壮絶なデュース(お互いの獲得ポイントが「40-40」と同点)の末、第三セットも落とし、

4-6、4-6、11-13(セットカウント0対3)で負けてしまったのでした。

ただ、清水善造さんが見せたこの一戦は、テニスの聖地・ウィンブルドンの観衆に強烈な印象と深い感動を与えたそうで、翌日、「ザ・タイムズ」は、

彼(清水)はしなやかにコートを走り回った。それは、私たちが見たこともない独特のコートカバーだった。到底届かないと思える球に不思議に追いつき、追いついたと見るや鮮やかに打ち返した

と、絶賛。

他紙も、清水善造さんの奮闘ぶりに、驚嘆かつ称賛する報道をしたそうで、清水善造さんは、「ミスター・シミー」として、ますます、ロンドンでの名声を高めたのでした。

(ビル・チルデン選手はこの年、オーストラリアのジェラルド・パターソン選手を破り、初めて全英王者となっています)

清水善造がウィンブルドン初出場で見せた一打「やわらかなボール」の真相は?

ちなみに、このウィンブルドン選手権のチャレンジ・ラウンドの決勝(挑戦者決定戦)で清水善造さんが見せた一打(やわらかなボール)は、スポーツマンシップを象徴する美談として、

戦前戦後、長年に渡って、「スポーツマン精神(美はしき球)」と国語の教科書(「新制女子国語読本」等)に掲載され、多くの人々に感動を与えてきたそうですが、異なる意見もあるようです。

国語の教科書に描かれた美談

まず、戦前戦後の国語の教科書(「新制女子国語読本」等)などで語り継がれてきたストーリーは、

試合中、対戦相手のビル・チルデン選手が芝生に足を取られて体勢を崩した。清水善造さんは、誰もいない逆サイドへ鋭いボールを打ち込めば容易にポイントを奪える状況だった。

しかし清水善造さんは一瞬の間ののち、あえて「やわらかなロブ」を上げ、ビル・チルデン選手が体勢を立て直す時間を与えた。

というもので、

相手の不運につけこまず、フェアプレーを貫いたというものでした。

清水善造本人のコメント

ちなみに、清水善造さん自身は、この一打について、

どうも俺には、とことん攻めきれないところがあるのだな

もともと僕の球はゆるいからね。そんな風に見えることがあったかもしれない

と、明確に肯定も否定もしていません。

とはいえ、清水善造さんは、「真のスポーツマンシップとは常に全力を尽くすことであり、転倒した相手にあえてゆるい球を送るような行為こそ、かえって相手や競技に対する礼儀(スポーツマン精神)に反する」と考えていたと言われています。

実際の試合で起きた真実は?

そんな清水善造さんのコメントを受け、ノンフィクション作家の上前淳一郎氏は、著書「やわらかなボール」で、

そのままチルデンは、ばったりとコートに倒れた。(中略)チルデンの返球は、ふらふらネットを越えてきた。拾うために、清水は前へ出る。視野のすみに、起き上がろうとするチルデンが入っている。

どちらのコーナーへ打ち返すべきか…瞬間、清水は迷った。(中略)十分決断しないまま、ラケットを振った。球は右コーナー、チルデンがいる側へ、いつもの清水の打球と同じように、ゆっくりと飛んだ。

と、あの一打は、”咄嗟(とっさ)の判断に迷った末のミスショットだった”と結論付けています。

ただ、その後、起き上がったビル・チルデン選手がそのボールを強打して清水善造さんからポイントを奪うと、事態を見守っていた観客が清水善造さんに向かってスタンディングオベーションで拍手したそうで、

ビル・チルデン選手も、

ヘイユー!ルック!!(清水、スタンドを見ろ)

と、ラケットでスタンドを指さして、清水善造さんのプレイ(と受け取られた行為)を称えたといいます。

美談として広まった理由は?

そんな中、1933年に三省堂から発行された文部省検定の女学校教科書「新制女子国語読本」で、矢島鐘二氏の執筆による「スポーツマン精神(美はしき球)」という文章が掲載され、一気に全国へ広まったそうですが、

時代を経て語り継がれるうちに、舞台がウィンブルドンからデビスカップにすり替わるなど尾ひれがつき、人々の理想とする「日本人の美徳やスポーツマンシップの象徴」として脚色・定着していったと考えられています。

とはいえ、仮に、上前淳一郎氏の言う通り、清水善造さんに、一瞬、迷いが生じてしまっていたのなら、相手を気遣っていたからにほかならず、

その結果、観客が勘違いして清水善造さんにスタンディングオベーションで拍手したのも、清水善造さんの日頃のプレーが常に相手への敬意を欠かさなかったからこそだったと言えるでしょう。

清水善造は2年連続でウィンブルドンに出場するとチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)は準々決勝まで全てストレート勝ちしていた

さておき、清水善造さんは、1921年には、再び、ウィンブルドン選手権に出場すると(2年連続出場)、チャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)準々決勝まで、全ての試合をストレート勝ちしています。

(周りにはサインを求める人垣ができたといいます)

清水善造は2回目のウィンブルドンのチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)の準々決勝でフェアプレーを激賞されていた

さらに、準々決勝では、イギリスのライセット選手と対戦し、2−2の接戦で最終セットを迎えると、

ライセット選手は、第四セットから、暑さを理由にたびたび長い休憩を取り、気付け薬と称してシャンパンを飲むなど身勝手な行動をとっていたそうですが、

清水善造さんは、常に微笑を絶やさず、相手がプレーに応じるまでじっと立って待っていたそうで、

結果、清水善造さんが3−2で勝利すると、人々はライセット選手の不遜さを非難し、清水善造さんのフェアな態度を激賞したといいます。

(清水善造さんによると、試合後、英国庭球協会が正式に謝罪の意を表明したとのことです)

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清水善造は2回目のウィンブルドンではチャレンジ・ラウンド(挑戦者決定トーナメント)の準決勝で敗退

そして、迎えた準決勝では、スペインのアロンゾ(弟)選手と対戦すると、

2−2の接戦で迎えた最終セット、清水善造さんのセカンドサーブ(2本目のサーブ)がアロンゾ選手にとって返し難い球となり、清水善造さんのポイントかと思われたのですが・・・

なぜか、主審は何も判定しなかったといいます。

すると、清水善造さんは、「ダブルフォルト」(アロンゾ選手のポイント)だと自ら申告したそうですが、

アロンゾ選手も「入っていた」(清水善造さんのポイント)と主張。

ここで、主審がラインズマン(線審)を呼んで協議した結果、清水善造さんの申告通り、アロンゾ選手のポイントとなったのですが、

なんと、アロンゾ選手は、次の清水善造さんのサーブをわざとネットに当てて、自らポイントを捨てたといいます。

結局、試合は、この最終セットをアロンゾ選手が取り、清水善造さんは敗退したのですが、

翌日の新聞は、この二人の行為を大きく伝え、「スポーツマン精神の華」と称えたといいます。

お読みいただきありがとうございました

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