1970年代後半から1980年代前半、シンセサイザーを駆使した音楽と独特のスタイルで社会現象を巻き起こした「YMO」。1980年には、アルバム「増殖」が大ヒットを記録するも、1981年にリリースした実験的なアルバム「BGM」と「テクノデリック」がファンに受け入れられずセールスが低迷。その後、活動停止と活動再開を繰り返し、2007年の再結成後、現在も活動中です。
「~YMO結成~海外でブレイク~」からの続き
社会現象
この頃になると、「YMO」は、
他に類を見ない人気ぶりで、
その人気は、若い世代だけではなく、
小学生にも広がっていきます。
また、「YMO」のメンバーがしていた、
「テクノカット」と呼ばれる髪型がはやり、
当時、原宿で活動していた、
路上パフォーマンス集団「竹の子族」が、
「ライディーン」で踊るなど、
「YMO」は社会現象となります。
(テクノカットとは、襟足を刈り上げ、もみあげを鋭角にそり、
前髪を先端で分ける髪型で、最近では松田翔太さんが、
この髪型をされ、注目されています。)
アルバム「増殖」では「スネークマンショー」とコラボ
そして、1980年3月からは、
初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」がスタート。
翌月の4月には、
雑誌「写楽」の創刊イベント「写楽祭」に、
ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」や、
CMクリエイターユニット「スネークマンショー」らと、
ともに出演するなど、国内での活動も積極的に行われます。
また、6月には、
4枚目のアルバム「増殖」、
をリリースしているのですが、
このアルバムは、「スネークマンショー」の、
コントを織り交ぜて制作され、
当初は10万枚の限定版として、
発売される予定だったのですが、
20万枚以上の予約を受けたため、
通常盤としてリリースされ、
オリコンチャート初登場1位という、
大ヒットを記録。
さらに、10月には、7カ国15会場を回る、
第2回ワールド・ツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」を、
イギリスからスタートすると、
ツアー中、アメリカのテレビ番組「ソウル・トレイン」に、
日本人ミュージシャンとして初めて出演を果たし、
最後は、日本武道館4連続公演で締めくくられるなど、
2回目のワールドツアーも、
大成功のうちに幕を閉じたのでした。
実験的なアルバム「BGM」「テクノデリック」で低迷
こうして、出す曲出す曲、
飛ぶように売れた「YMO」でしたが、
1981年3月に「BGM」
同年11月に「テクノデリック」
という、実験的なアルバムをリリースすると、
これらのアルバムは、
これまでのポップススタイルから一転、
暗くて重い、ヨーロッパのような曲調でありながら、
ニュー・ウェーヴ色の強いエレクトリックサウンドを、
特徴としていたことから、
それまで「YMO」に興味を示さなかった評論家からは、
高く評価されるものの、その一方で、
「ライディーン」的なサウンドを期待していたファンからは、
大ひんしゅくをかってしまい、
セールスは大きく落ち込むこととなります。
細野と坂本が不仲~散開へ
また、この時期、
細野さんと坂本さんの仲が、
かなり険悪となっていたそうで、
お互い顔を合わせないように、
スタジオ入りの時間をずらされており、
それでも、顔を合わせてしまうと、
坂本さんは、腹いせに、
スタジオの椅子を蹴飛ばしたりしていたとか。
後に坂本さんは、
ある意味で、僕が「細野晴臣」というミュージシャンを、
仮想の敵としている以上に、細野さんは僕を敵としてとらえて、
自らとYMOをパワーアップしている。
と、語っておられたそうです。
そして、二人の間に挟まれた高橋さんは、
ひとり、神経をすり減らしていたそうで、
そのことが理由かは分かりませんでしたが、
1981年末、「YMO」は「散開」という名のもと、
「活動停止」となったのでした。
(当時所属していた「アルファ・レコード」からの要求で、
「解散」とはならず、「活動停止」となったそうです。)
再結成~CMで活動再開~
そんな「YMO」は、1993年2月、
12年の時を経て、「再生」という名のもと「再結成」。
同年5月には、
アルバム「テクノドン」を発表するのですが、
以降、再び活動停止状態に・・・
「テクノドン」
しかし、2007年、
「キリンラガービール」のテレビCMに、
3人そろって出演し、
「ライディーン」を新しくアレンジした、
「RYDEEN 79/07」が使われたのを契機に、
本格的に再始動すると、
(ちなみに、この曲は、CM公開とともに、
インターネット配信されると、数々の配信サイトで、
ダウンロード数1位を記録するなど、
「YMO」の健在ぶりを示す結果となっています。)
以降、海外公演や国内でのライブ活動、
アルバムやシングルのリリースなど、
現在も活動を継続されています。
さて、いかがでしたでしょうか?
唯一無二の音楽で次々とヒットを飛ばし、
人々を熱狂の渦に巻き込んだ「YMO」。
当時、歌謡曲が全盛だった日本において、
大人はともかく、小学生にまで支持されたこと自体、
異例のことですが、
多種多様な音楽が溢れる現在でも、
決して古さを感じさせない個性的な「YMO」の楽曲は、
一度聴くと虜になってしまうから要注意です♪
https://www.youtube.com/watch?v=wvNHb7hIo3s