小学3年生の時、オリンピックで荒川静香さんが金メダルを獲得したのを見て、フィギュアスケートを習い始めると、オリンピックを目指し、猛練習を重ねられたという、小芝風花(こしば ふうか)さん。そんな小芝さんのスケート選手時代について、調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
小芝さんは、1997年4月16日生まれ、
大阪府堺市堺区のご出身、
身長157センチ、
血液型はA型、
学歴は、
堺市立浅香山中学校
⇒日出中学校(転校)
⇒日出高校・通信制
趣味は、編み物、刺繍、愛犬と遊ぶこと、
特技は、フィギュアスケート、
ちなみに、「小芝風花」は本名で、名前の由来は、松山千春さんの「大空と大地の中で」を聴いたお母さんが、「世間の冷たい風に吹かれても、小さくていいからしっかりと根を張って生きて欲しい」との思いを込めて名付けられたそうです。
幼少期の小芝さん。
体操からフィギュアスケートへ
小芝さんは、子どもの頃、器械体操を習っていたそうですが、小学3年生の時、トリノオリンピックに出場した荒川静香さんが金メダルを取ったことが体操教室で話題になると、
体操教室のお母さんたちから、
風花ちゃんはスケートに向いてそうじゃない?
と、よく言われるようになり、
じゃあやってみよう!
と、試しにお母さんにスケート教室に連れて行ってもらったところ、それがとても楽しかったそうで、
体操よりスケートを習いたい!!!
と、お母さんに頼み込んで、フィギュアスケートを習わせてもらったそうです。
オリンピックを目指し猛練習
こうして、小芝さんは、「大阪府立臨海スポーツセンター」に所属し、(いつ頃からかは不明ですが)お母さんと二人三脚で、星がまだ出ている時間から家を出てフィギュアスケートの練習をし、そのまま学校に行く、というオリンピックを目指す毎日を送ったそうですが、
14歳の時の小芝さん。
最初は、すごく楽しくて、こんなにも夢中になれるものに出会えたという感覚だったものが、次第に厳しさを知り、度々、辞めたいと思うようになったそうです。
ただ、成功した時の喜びがとにかく大きく、やった分だけ結果がついてくるフィギュアスケートにのめり込んでいったのでした。
(フィギュアスケートは、練習を3日休むと感覚を戻すのが大変で、1週間かけてやっとこんなかんじだったと思い出すレベルなことから、毎日練習しなければならず、小芝さんは、当時、友達ともまったく遊んでいなかったそうです。)
オスグッド・シュラッター症候群を乗り越え大会入賞
そして、成長期の頻繁な跳躍の影響により、筋肉の成長に骨がついていかず、膝の脛骨が出っ張って痛むという骨軟骨炎(オスグッド・シュラッター症候群)を両足に発症するも、スケートをやりたいという気持ちから、スケートリンクに復帰し、「トリプルトゥーループ」「ダブルアクセル」などをマスターすると、
(2度も手術されており、3週間くらい入院してガリガリに痩せ細ってしまった時には、周囲からはもうスケートは無理なんじゃないかと思われたそうです。)
2010年8月には、「第37回西日本中小学生フィギュアスケート競技会6級ジュニア選手権女子」で8位に入賞、
2011年10月に行われた「第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会」では、(この年から設けられた)「ノービスダンス」で、渡邊純也さんとペアを組んで優勝されたのでした。
「小芝風花のデビューは武井咲の妹役?イオンCMで古谷一行の孫役も!」に続く