1987年に石原裕次郎さんが他界されて以来、24年に渡り、「石原プロモーション」社長を務めてこられた、渡哲也(わたり てつや)さんですが、2011年には、自身の健康上の問題等を理由に「石原プロモーション」社長を辞任されます。ただ、渡さんが社長を辞任された本当の理由はほかにありました。
「渡哲也は西部警察2003撮影中の人身事故で土下座謝罪していた!」からの続き
渡哲也が「石原プロモーション」社長を辞任
2009年には、石原裕次郎さんの二十三回忌法要イベントが国立競技場で盛大に行われ、全国から約12万人のファンが集まったのですが、
近年は、「石原プロモーション」の看板俳優である、渡さん、舘ひろしさん、神田正輝さんの3人が、単発ドラマ中心となっていることから、このままでは事業を縮小するのではないか、との噂が流れ始めます。
すると、実際、2011年5月、「石原プロモーション」は、渡さんが社長を辞任し、取締役だった舘さんと神田さんも役員を辞任、経営権は石原裕次郎さんの奥さんである石原まき子さんに譲ることを発表したのでした。
(渡さんは、裕次郎さん亡き後、24年にも渡り、2代目社長を務めていました)
社長辞任の本当の理由
そこで、その理由ですが、表面的には、自身の健康上のことと社長在籍期間が石原裕次郎さんを超える訳にはいかない、というものだったのですが、実際には、事務所内の確執が引き金になっていたというのです。
これまで、「石原プロモーション」は、「コマサ」と呼ばれる専務・小林正彦さんが番頭として陣頭指揮をとっており、小林さんは、70年代前半には約10億円もの負債を抱えていた「石原プロモーション」を、その集金力や営業力で、見事、立て直し、功績が認められていたのですが、
やがて、小林さんが、「テレビ朝日」の「石原プロモーション」担当の女性プロデューサーと親しくなると、この女性がだんだん「石原プロモーション」に入り浸り、介入するようになっていったそうで、
この女性プロデューサーは、気に入らない社員がいると、小林さんに告げ口をして辞めさせるなど、小林さんが後ろ盾なのをいいことに、やりたい放題となっていったというのです。
これに、事務所スタッフの不満は高まっていったのですが、さらには、渡さんと小林さんの間にも、あることがきっかけで、軋轢が生じたというのです。
専務・小林正彦との確執が原因
というのも、2007年、青森県大間を舞台にしたテレビドラマ「新春ドラマスペシャル・マグロ」で、渡さんは、漁師役を演じられていたのですが、
この時期は、そのほかにも立て続けにドラマ撮影が重なっており、あまりにハードなスケジュールだったため、渡さんは体調を崩してしまいます。
そんな渡さんを見かねた社員が、小林さんに、
このままじゃ渡さんの体が危ないですよ
と訴えたところ、
小林さんは、
それなら死んでから考えよう
と、言い放ったそうで、
このことが渡さんの耳にも入ったというのです。
これで、両者の亀裂は決定的なものになり、渡さんは、小林さんと親しかった「テレビ朝日」の女性プロデューサーを辞めさせる名目もあり、2011年、取締役会で代表取締役を辞任したのでした。
(と同時に、社員25人にも退職してもらい、退職金を支払ったあとに再雇用。小林さんだけが再雇用されず、結果的に小林さんだけが会社を去る形となったのでした。)
渡哲也が相談取締役へ
こうして、「石原プロモーション」は新体制で出発することとなったのですが・・・
2017年4月、今度は、それまで「石原プロモーション」で常務取締役を務めていた人物が、渡さんとの確執でクビを切られたと、一部週刊誌に「石原プロモーション」の内情を暴露し、批判を繰り返したのです。
「石原プロモーション」関係者によると、
渡さんはアキレた顔を見せるだけで、特に相手にしなかった
そうですが、渡さんは、同時に、「相談取締役」(相談役と取締役を兼任)として経営陣に復帰。
今後は、「石原プロモーション」のために尽力する道を選んだそうで、石原裕次郎さんの妻で、「代表取締役会長」の石原まき子さんが、渡さんをサポートしていく体制となっているそうです。
(渡さんが退いて以来、空席となっている「代表取締役社長」の役職には誰も就任していません)