「日活」の看板女優として活躍し、1956年には、「狂った果実」で石原裕次郎さんの相手役を務められると、以降、23作もの映画で石原裕次郎さんと共演された、石原まき子(いしはら まきこ)さん。今回は、そんな石原さんの知られざる少女時代についてご紹介します。

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年齢は?出身は?韓国人?本名は?

石原さんは、1933年7月23日生まれ、
東京市目黒区のご出身、

学歴は、
目黒区立第二中学校卒業、

ちなみに、「石原まき子」は本名で(旧姓:荒井)、女優時代の芸名は「北原三枝(きたはら みえ)」 、愛称は「マコ」です。

(韓国人との噂がありますが、出どころは不明です)

少女時代は弟と二人きりで疎開

石原さんは、1944年(戦時中)、まだ11歳という年にもかかわらず、母方の祖父の家がある山梨県北巨摩郡藤井村というところに、弟・和男さんと、たった二人で疎開することになり、

和男さんは身体が弱かったため、新宿駅を発つ時、お母さんに、

まき子ちゃん、和男を頼みますヨ

と、手をしっかり握られ、和男さんを託されたそうです。

ただ、石原さんは、お母さんに頼まれたからという訳でなく、本当にこの幼い弟がかわいそうでたまらく思っていたそうで、

疎開先の清々しい空気と食べ物に不自由しない生活のお陰で、やがて、和男さんが元気になると、石原さんはほっと一安心されたそうです。

(和男さんは、幼いながらにも、そんなお姉さんの気持ちを察してか、疎開先で寂しい思いをしている石原さんを、一生懸命、慰めたりかまったりしてくれたそうです。)

黄疸の弟のためにシジミを取り歩く日々

しかし、ほっとしたのも束の間、和男さんは、「黄疸」にかかってしまったそうで、石原さんは、お母さんとの約束を思い出し、「しまった」と思われたそうです。

そして、そう思ったとたん、のしかかるような責任を感じ、その日から、暇さえあれば、近くを流れる塩川や田んぼを流れる小川をさまよい、シジミを取って歩くことに。

(石原さんは、誰に教わったわけでもなく、「黄疸にはシジミが良い」と聞いて知っていたそうです)

ただ、冬の川は足がしびれるほどの冷たさで、一日歩いたところで、せいぜい、茶碗一杯か二杯しか取れなかったそうです。(一つもシジミが取れない時もあり、そんな時は、空の茶碗を持ったまま泣きたくなったそうです。)

それでも、苦労の末に取ってきたシジミをお手製のお味噌汁に入れて、和男さんに飲ませると、和男さんは、「姉さん、おいしい、おいしい」とニコニコしながら飲んだそうで、

石原さんは、そんな弟の笑顔を見るのがこのうえなく嬉しく、弟の笑顔をみるたびに、何かしら生きがいのようなものを感じるようになっていったのだそうです。

(石原さんは、おじいちゃんの家の人達の手をわずらわせることなく、自身の手で弟を治したかったそうです)

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祖父が他界

そんな中、その年(1944年)の暮れ、おじいちゃんが突然他界。

おじいちゃんは、長女であった石原さんのお母さんを、子ども達の中で一番かわいがっていたそうで、そのため、そんなお母さんの子どもである石原さんたちには惜しみない愛情を注いでくれ、

疎開中、「疎開者」と世間の冷たい目にさらされている石原さんを、そっとかばってくれるなど、とても優しくしてくれたそうですが、

石原さんとって、そんなおじいちゃんが亡くなったことは、大きなショックで、それからというもの、疎開生活はとても空虚なものとなっていったのでした。

(美しい自然を楽しむことだけが、喜びとなったそうです)

というのも、石原さんは、疎開先で通っていた学校では、授業は最初のうちは、ほとんど東京で習ったところばかりでおもしろくなく、学校の大半は、授業ではなく、防火訓練や勤労奉仕ばかりだったうえ、友達は冷淡だったそうで、

授業を甘くみたり、怠けたりしているうち、学校に対する興味や勉学に対する関心自体がなくなっていたのでした。

「石原まき子の若い頃は北原三枝で日活看板女優だった!」に続く

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