「新型コロナウイルス」感染による「肺炎」により、2020年3月29日の夜に他界された、志村けん(しむら けん)さんが、3月31日午後5時頃、都内の斎場で荼毘に付されました。遺骨は親族の待つ実家に届くも、指定感染症だったため、お別れはさらに辛いものだったようです。
「志村けんの死因は新型コロナウイルスによる肺炎!兄のコメントは?」からの続き
最期も看取れず、遺体とも対面出来ず、火葬も立ち会えず
2020年3月29日の夜、「新型コロナウイルス」感染による「肺炎」により他界された志村さんですが、志村さんの兄・志村知之さんによると、志村さんは、「新型コロナウイルス」という指定感染症に感染していたため、
病室は隔離され、親族でも面会できない状態で、入院後、見舞いに行くことも出来ず、最期を看取ることもできず、死去は事務所の電話で知ったといいます。
そして、3月31日、午後3時前、知之さん一家(妻と息子2人)と弟夫婦は、最後のお別れをするため、志村さんの遺体のある都内の病院を訪れたそうですが、
志村さんの遺体は、病院の安置室で、(飛沫感染だけでなく接触感染のリスクもあるため)非透過性の納体袋に収容されて棺に入れられており、依然、顔を見ることも出来ず、棺に思い出の品を入れることもできなかったそうで、1時間程のお別れをされると、遺体は病院から斎場(火葬場)に直行。
(火葬は、知之さんら親族も立ち会いを許されず、知之さんら親族6人と所属事務所関係者3人の合計9人は、霊柩車に乗せられた志村さんを病院で見送ったそうです。)
志村さんの遺体を乗せ、斎場に向かう霊柩車。
斎場の関係者によると、
感染防止のため(志村さんの)ご遺体を運ぶスタッフは防護服や手袋を着用していました
とのことで、辛いお別れが、一層辛いものとなったようです。
遺骨が帰郷し兄がコメント
遺体は午後4時30分前に斎場(火葬場)に到着すると、葬儀業者だけが立ち会う中、通常の時間外に火葬されたそうで、午後5時30分頃には遺骨を乗せた葬儀業者の車が知之さんの自宅に向けて出発。
その後、報道陣約50人が待ち構える中、知之さんの自宅で、志村さんの遺骨が葬儀業者から知之さんに手渡されると、
遺骨を抱いた知之さんは、妻のサヨ子さんと取材に応じ、
無事に(志村さんが)帰ってきました
と、憔悴した様子でコメント。
そして、
(骨つぼが)重いけど、まだ温かい
と、沈痛な面持ちで話すと、
年末年始には、必ず実家に帰ってきていた志村さんの人柄について聞かれても、
まだ温かい…
と、ささやくように繰り返し、
志村さんの遺骨を抱いた兄・知之さん
葬儀・告別式の日程は未定とのことですが(近親者のみで執り行う予定)、
遺影については、
10年ぐらい前の笑顔の写真を選んだ
と、明かし、
(皆さんには)テレビとかで見てもらって、感染すると怖いということを分かってもらえたら
と、コロナ終息後にはお別れ会を開く予定であることも明かされたのでした。
知之さん夫妻。
2人の甥のコメント
また、志村さんの二人の甥(知之さんの息子さん)である、将之さんと憲之さんが、情報番組「とくダネ!」に出演され、
将之さんが、タブレット越しに見た志村さんの様子を、
見た目はホントに意識ないんですけど、今にも目開きそうな感じで、顔色もよかったですし、口に管は入ってましたけど、お医者さんが言うようにちょっと危ないっていう感じはしなかった
と話し、
防護服を着用すれば面会できると言われるも、
これが最後じゃなくて、また来れるだろうというのがあったので
と、人数制限もあったため、遠慮したことを明かされると、
将之さん。
1ヶ月ほど前に志村さんと一緒にお酒を飲んだという憲之さんは、
映画の話ですとか(NHKの)朝ドラの話ですとか、すごい楽しそうに話してて、この前顔合わせしたばっかりだとか、そういったお話も聞けて、本人もすごい楽しみにしてたんだと思うんですけど
と、志村さんの無念さを思い、声を詰まらせられたのでした。
憲之さん。
「志村けんのコロナ感染ルートは古希誕生会?球界コロナ騒動とも接点?」に続く