早稲田大学時代、演劇サークルに入部するも、ほどなくしてお笑いに転向すると、大学卒業後の2007年、24歳の時には、吉本総合芸能学院(NSC)に入校された、山﨑ケイ(やまざき けい)さん。ただ、同年に結成したお笑いコンビ「KBBY」の活動は思わしくありませんでした。

「山﨑ケイの若い頃はネクラ?早稲田大学に3ヶ月の受験勉強で合格!」からの続き

Sponsored Link

演劇からお笑いに転向

山﨑さんは、早稲田大学に入学後は、お笑いの要素の強い演劇サークルに入部されたため、お笑いを意識するようになっていくのですが、と同時に、(お芝居は好きだったものの)ほかの部員とは温度差があったそうで、

ノルマ達成のために、自分の友だちにしか見てもらえない演劇に、急に、

なんの意味があるんだろう

と、思い始めます。

そして、そんな中、お笑いブームが起き、感化されると、

(お笑いなら)自分が頑張った分だけ自分に返ってくるんじゃないか

と、お笑いを目指すことを決意されたのでした。

「吉本総合芸能学院(NSC)」に入校し「KBBY」結成

こうして、山﨑さんは、大学卒業後はお笑いを目指し、「吉本総合芸能学院(NSC)」に入るべく、その資金を稼ぐため、東京・丸の内でOLをされたそうで、

あまり仕事ができなくて、失敗して泣いたこともあった。給料日後に奮発する1500円のランチを楽しみに、日々をやり過ごしていた。

そうですが、そんなOL生活を1年過ごした後、

2007年、24歳の時、晴れて、「吉本総合芸能学院(NSC)」東京校に入校すると、同年、本名の「山崎 恵」名義で、「KBBY」というコンビを結成されたのでした。


「KBBY」。当時の相方「BB」こと馬場千晶さん(左)と山﨑さん(右)。

山添寛とコンビ「相席スタート」を結成

ただ、活動は思わしくなく、2012年11月30日には解散すると、

お世話になった作家さんに解散の報告をしに行ったちょうど同じ日、その作家さんから、同じ吉本の後輩芸人・山添寛さんとコンビを組むことを勧められ、

その山添さんも、2012年8月9日に、コンビ「ヒダリウマ」を解散し、その作家さんに、山﨑さんとコンビを組むことを勧められていたそうですが、

当初は、二人とも、仲が良いわけでもなかったことから乗り気ではなく、周りの芸人たちからも「やめとけ」と反対されていたこともあり、コンビを組む気はなく、丁重に断ろうとしているところ、

日本テレビの深夜番組「NexT」で、「解散芸人の相方探し」として取材を受けた山添さんが、先輩お笑いコンビ「2700」の二人の、アドバイスや結成までの紆余曲折を聞き、山﨑さんに連絡。

(山添さんは、お笑いコンビ「2700」の「こういう時は、後輩の山添さんから山﨑さんに連絡をとってみるのがセオリー」というアドバイスに従ったそうです)

そして、山﨑さんいわく、

(周囲が)しつこく勧めてきたんで、一度試しにライブをやらせてもらった

との理由で、お試しとして、二人でライブを行うも、手応えはあまりよくなく、2人とも、

全然いいネタができなくて、あんまりしっくりこなかった

と、お互いにコンビを組む決断をできずにいたのですが、

山添さんが、

前のコンビと似たような人と組んでも仕方ない。(山﨑)ケイさんは若手芸人の中では面白い人で、僕の全く知らないタイプの漫才をしていたので、その可能性に懸けた。

と、徐々に一緒に組みたいと思うようになっていったそうで、

深夜番組「NexT」の2013年2月2日放送で、山添さんが山﨑さんに公開告白されると、山﨑さんも快諾し、コンビ「相席スタート」が結成されたのでした。

Sponsored Link

山﨑ケイがコンビ結成を快諾した理由は?

ちなみに、山﨑さんは、快諾した理由を、

一期離れた先輩と後輩だと、すごく距離感がある。後輩だから気を使って意見が言えないと思ったら、(山添さんは)すごく意見を言ってくれたんですよ。

私と同じ量の意見を言ってくれるこの人とだったら、今までよりもいいネタを作ることができる。

と、山添さんに可能性を見いだしたこと、そして、

一旦(最終決断をする)期限が決まった。自分がコンビを組むか組まないかを追ってもらえる機会はない。それがなかったら(コンビを)組まなかったかもしれない。

と、これまでの流れが、深夜番組「NexT」で、ドキュメンタリーとして放送されたことが、後押ししたことを明かされています。

「山﨑ケイは相方の山添寛と交際?恋愛ネタは二人の日常会話から!」に続く

Sponsored Link