「AKB48」の総合プロデューサーである、秋元康(あきもと やすし)さん。かつてのアイドルグループ「おニャン子クラブ」のプロデュースをされたことでも有名です、


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プロフィール!

秋元さんは、1958年5月2日生まれ、
東京都目黒区のご出身です。

学歴は、
中央大学文学部中退、

だそうです♪

高校生で放送作家に

秋元さんは、1975年、
高校2年生の時に、

せんだみつおさんのラジオ番組を聴いていた際、
せんださんを主人公とした平家物語のパロディを、
受験勉強用に買ったノート20枚に渡り、
書き上げたそうです。

そして、そのノートを見た同級生の勧めもあり、
ニッポン放送に送ることに。

すると、放送作家の奥山侊伸さんの目に留まり、
ニッポン放送に遊びに来るように言われたそうで、

何回か出入りするうちに、
奥山さんの弟子となられたのでした。

そして、秋元さんは大学入学後、
放送作家としての活動を始められ、

実に、サラリーマンの、
4倍近い収入を得ていたのだとか!

それでも、秋元さんにとっては、
放送作家としての仕事は、
アルバイトのようなものであり、
高収入でさえも、「あぶく銭」だったそうで、

当時、秋元さんは、

このまま放送作家だけを続けていても、
せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。
自分はこのままで終わりたくない。

と、やしきたかじんさんに、
相談されていたこともあったそうです。

やっぱり、秋元さんは、
一般人とはかけ離れた感覚を、
お持ちだったのですね~

作詞家へ転身

こうして、放送作家の仕事に、
物足りなさや将来の不安を、
感じられていた秋元さんは、

音楽プロデューサーの、
朝妻一郎さんを紹介されたことをきっかけに、
作詞を手がけられるようになります。

秋元さんは、作詞家としても、
すぐに頭角を表され、

1981年「言葉にしたくない天気」(Alfee)
1982年「ドラマティック・レイン」(稲垣潤一さん)
1983年「GOOD-BYE青春」長渕剛さん)

などで、知名度を上げられると、

1983年には、美空ひばりさんの、
「川の流れのように」で、
作詞家としての地位を確立されたのでした。

構成作家、プロデューサーとして

秋元さんは、作詞家だけではなく、
構成作家としても活動され、

1980年代~1990年代には、

「ザ・ベストテン」
「オールナイトフジ」
「夕やけニャンニャン」

「オールナイトフジ」より。

とんねるずのみなさんのおかげです」
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」
「うたばん」

「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」より。

など、いずれも、
高視聴率を記録しています。

また、1985年~1987年には、
「夕やけニャンニャン」に出演していた、
アイドルグループ「おニャン子クラブ」の、
楽曲を手がけられるようになり、

次々とソロデビューさせていったメンバーの、
全楽曲の作詞とプロデュースも担当。

「おニャン子クラブ」。
ちなみに、一列目の右端は国生さゆりさん。

その他にも、
1985年~1989年「少女隊」
1989年「幕末塾」
1993年「ねずみっ子クラブ」
1996年「猿岩石」

など、数多くのグループのプロデュースを担当され、
次々と、ヒットを飛ばされたのでした。

会いにいけるアイドル

その後、秋元さんの次なる構想は、
画面を通して見ているだけのテレビから、
「会いにいけるアイドル」へと移っていきます。

秋元さんは、ずっと、
テレビのお仕事をされていたことから、

観客がわざわざ、足を運んでくれる、
小劇団やロックバンドが、
うらやましかったとのことで、

自分の小劇団を作り、毎日公演をやって、
歌とダンスで魅せるレビューのようなものを、
作りたいと思われるようになったのだそうです。

秋葉原が発信元

そこで、秋元さんは、
秋葉原に集まる「萌え系」の人たちの、
熱狂的なエネルギーに着目されると、

この人達に、「自分だけの特別なアイドル」
という感覚を抱かせるため、

秋葉原を本拠地に、
活動を展開しようと試みたのでした。

当初は、

「秋葉原で毎日公演するのは無理」

と周囲の人に反対されていたそうですが、

秋元さんは、それが逆におもしろい、
と思われたそうで、

みんなが行く野原には、
野イチゴはありませんから。

「あそこに行っても、野イチゴはないよ」
と言われる場所こそに、野イチゴはあるんです。

と、インタビューで語っておられます。

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「AKB48」の誕生

そして、秋元さんは、
「第1期オーディション」を開催され、
20数名のメンバーを合格にされたのですが、

秋元さんがメンバーに選んだ女の子たちは、
いわゆる不器用な落ちこぼればかり。

つまり、

「自分が応援してあげなければ、
この子はダメになってしまう」

というファンの心理をつかれたのです。

そして、センターに、
前田敦子さんを起用した理由も、

一番センターに向いていない、
と思われたからだそうで、

秋元さんは、そのことについて、

はじめはこんなにダメだったけど、
やっと自分の応援でここまできた。

それをファンは体験したい。
だったら最初からすごい美人やお姫様では、
ダメじゃないですか。

と、語っておられ、

ここでも、「自分が育てている」という、
ファンの心理をくすぐるように、
うまく仕掛けられています。

こうして、2005年、東京秋葉原で、
女性アイドルグループ「AKB48」が、
誕生したわけですが、

「落ちこぼれ集団、日本一の弱小チーム」だった、
「AKB48」は、今や誰もが認めるまでに大きく成長。

そして、2016年、秋元さんは、
近々、「AKB48」の総合プロデュースを、
引退するのではないかと報じられています。

しかも、後継人には、前田敦子さんを指名!
などという噂も・・・

もし、この話が本当だとすると、
プロデュース自体も、エンターテイメント化する、
という驚くべき発想!

いずれにせよ、今後もまだまだ、
私達を驚かせる秋元さんの仕掛けは、
尽きそうにありません!!

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